Tag Archives: 国家

日米大学生の、学習・読書の量と質の差

日本の大学生があまり本を読まない、と憂慮する声が高まっている。そもそも日本人の20歳の知的好奇心が、スウェーデンの65歳とほぼ同じだという統計もある。

ただ読書時間数もさることながら、何を読んでいるかも重要だ。 Continue reading

 

●資本主義と国民国家 その両方が岐路に立っている

┃Economy あるいは資本主義のメタモルフォーゼ
成長と生産性、ビジネスモデル、経営、、国家、民主主義など

1.異次元緩和は失敗だった。クルーグマンの『Rethinking Japan』を読む http://www.mag2.com/p/money/6246
急激な財政拡張策は、日本のための政策にはならないだろう

Continue reading

 

日本社会は「移行期」のただなかにあります。

フライヤー詩想誌 1枚目https://society-zero.com/chienotane/wp-content/uploads/2015/07/フライヤー詩想誌 1枚目-216x300.jpg 216w, https://society-zero.com/chienotane/wp-content/uploads/2015/07/フライヤー詩想誌 1枚目-72x100.jpg 72w" sizes="(max-width: 531px) 100vw, 531px" />
フライヤー詩想誌 2枚目https://society-zero.com/chienotane/wp-content/uploads/2015/07/フライヤー詩想誌 2枚目-216x300.jpg 216w" sizes="(max-width: 531px) 100vw, 531px" />
フライヤー詩想誌 3枚目https://society-zero.com/chienotane/wp-content/uploads/2015/07/フライヤー詩想誌 3枚目-216x300.jpg 216w" sizes="(max-width: 533px) 100vw, 533px" />
詩想誌・知識カード フライヤー社会人用https://society-zero.com/chienotane/wp-content/uploads/2015/07/詩想誌・知識カード フライヤー社会人用-211x300.jpg 211w, https://society-zero.com/chienotane/wp-content/uploads/2015/07/詩想誌・知識カード フライヤー社会人用-722x1024.jpg 722w" sizes="(max-width: 536px) 100vw, 536px" />

http://bit.ly/1TJxddV はこちらです(下記)

詩想誌・知識カード(100words・knowledge-cards)

未来は、過去を知ることからしか生まれない。

先人の知的営為の蓄積にアクセスし、その智やデータを足場としながら自らの思考を深めていく。

そういった読むという行為、書くという行為が日常の中に確保されるのでなければ、社会の持続と発展はおぼつかない。

しかし、「読む・書く」を取り囲む情報環境は大きく変貌した。

グーテンベルク革命から五百年。インターネットと情報端末、そしてクラウド。デジタル化の潮流によりわたしたちは今日、みずからの知識や文化の基盤とその生成や継承のしかたに、人類史的な転換が生じているのを目のあたりにしている。

なにより、あらゆる情報行動の起点がスマホになろうとしている。

「読む・書く」の確保も、過去の知識へのアクセスも、スマホを無視していてはリアリティを失ってしまう。

スマホに溶け込む、新しい本のカタチ、新しい文章のスタイルの実験・構想として、「詩想誌・知識カード(100words・knowledge-cards)」は生まれた。


◇関連URL

「詩想誌」と「知識カード」 http://society-zero.com/chienotane/archives/1692

「知識カード」と5百年前のページネーション http://society-zero.com/chienotane/archives/1696

「知識カード」と5万年前の人類の知恵 http://society-zero.com/chienotane/archives/1700 

 

日本に市民社会はあるか|『イスラム国の衝撃』

(後藤健二さんの無念を想いながら。そして、ご冥福を祈りつつ)

「イスラム国」の台頭に対し緊急出版された『イスラム国の衝撃』の「むすびに」に、著者池内 恵氏のコメントがある。

英語のインタネット空間に広がった膨大な公知の事実は、それを適切に引照し議論する専門家集団を中核とする、成熟した市民社会に共有されることで意味を持つ。日本にそのような市民社会はあるのだろうか。

Continue reading