2026年は日本電子出版協会(JEPA)の40周年の年に当たる。先に、JEPA・Webサイトの「キーパーソンズ・メッセージ」への寄稿文データ群から、生成AIを使って日本語本デジタル化の歩みを辿った。その作業を通じて面白いことに気づいた。ここ半世紀の歩みが、驚いたことに、千年を超える日本語の書物史と見事にシンクロするのだ。そのことをここに書いてみたい。
シリーズ:電子出版半世紀を日本語書物史千年との交錯点で読み解く
Ⅰ. 【記録する/保存する】── 写本から符号へ、和紙からパルプ・サーバーへ
Ⅱ. 【調べる/扱いやすさ】── 類聚(分類)の情熱と「EPWING」から「URL」へ | ちえのたね|詩想舎
Ⅲ. 【伝える/楽しむ】── 貸本屋から「サブスクリプション」、絵巻物から「Webtoon」へ | ちえのたね|詩想舎
Ⅳ. 【学ぶ】── 福沢諭吉の『学問のすゝめ』から「デジタル教科書」へ
和紙と手仕事
人間が自らの思考や社会の出来事を「記録し、保存する」という営為の歴史は、そのまま「素材」と「テクノロジー」との格闘の歴史でもあった。千年を超える日本の書物史を振り返る時、私たちはそこに、驚くほど強靭な「残すための意志」を見出すことができる。
藤原道長が自筆で遺した世界最古の直筆日記『御堂関白記』にその象徴を見ることができようか。一千年の時を経た今なお、私たちが道長の生の筆跡をそのまま読み解くことができるのは、日本の職人が手漉きで仕上げた「和紙(雁皮や楮)」が、植物繊維として極めて優れた保存性を持っていたからに他ならない。また、奈良時代に聖武天皇が平城京で命じた国家的な「写経生」たちの事業に見るように、かつて書物の保存とは、一点ものの「写本」を、気の遠くなるような人の手によって書き写し続ける、骨の折れる手仕事の集積であった。
・藤原道長「御堂関白記」を読む

(藤原道長「御堂関白記」を読む (講談社選書メチエ 564))
この「和紙と手仕事」による保存の営みは、明治の近代化によって大きな転換期を迎える。長崎の本木昌造らが確立した鉛活字による活版印刷技術と、機械漉きによる「洋紙(パルプ)」の登場である。文字は肉筆の墨から金属の記号へと解体され、高速な印刷機械によって数万、数十万の複製として洋紙の上に定着されるようになった。これにより、書物は「一握りの特権階級が大切に受け継ぐ家財」から、「誰もが安価に手に入れられる大量生産品」へと姿を変え、保存の規模は爆発的に拡大した。
日本語のデジタル化を推進する
そして、ここ半世紀の日本語デジタル化推進は、この印刷機械の歴史をさらに次のステージへと押し進めた。昭和後期の電算写植の普及を経て、1980年代以降のDTPの台頭やJIS規格(のちのUnicode)の整備にともない、日本語はついに物理的なインクすら脱ぎ捨て、電子空間を漂う「ビットの符号」へとその姿を変えたのだ。和紙からパルプ、そして「サーバー」へと情報はメタモルフォーゼ(変態)したのである。これは物理的な劣化や焼失、あるいは在庫切れという紙の宿命から文字が解放される事象であった(無論、デジタルにはデジタル固有の保存課題が存在するが)。
しかし、この物質から符号への大転換は、決して過去との断絶ではない。むしろ、数百年前に先人たちが繰り広げた「正しく残すための格闘」との、幸福な交錯点だという点が興味深い。
たとえば、初期のJIS文字コード(JIS X 0208)の策定プロセスにおいて、典拠の分からない漢字、いわゆる「幽霊文字」が混入し、当時の技術者や研究者たちが古文書をひっくり返して一字一字の出自を突き止めたエピソードがある。デジタル空間に日本語を「正しく記録する」ために注がれたこの情熱は、かつて弘法大師(空海)が唐から持ち帰った膨大な経典の誤字や脱字を正すため、一字ずつ精緻に校正を重ねて『三十帖策子』を仕上げたあの時代の熱量と、完全にシンクロしている。
・弘法大師空海

(弘法大師空海|東寺 – 世界遺産 真言宗総本山 教王護国寺)
日本電子出版協会(JEPA)の会員各社が、初期の電算写植から現代のクラウドサーバーに至るまで、文字コードの標準化や外字・異体字の処理に血を注いできた半世紀。それは、写経生たちが経典を遺し、本木昌造が鉛の活字を削り、文字の正統性を守ろうとした伝統の、デジタルにおける正統な延長線上にある。私たちは、和紙の強靭さや洋紙の大量生産力に甘んじることなく、符号という目に見えない砂の上に、日本語の文化遺産をより強固に、より正しく刻み直すという新たな「保存」の歴史を生きているのだ。








