■『Lemon』から『智恵子抄』へ 関心・興味の横に「知」への扉を

徳島県出身のシンガーソングライター(また彼はイラストレーター、映像作家でもある)米津玄師(よねづけんし)が紅白で『Lemon』を熱唱した。

(米津玄師さん紅白で「Lemon」披露 地元・徳島県鳴門市の大塚国際美術館から生中継|徳島新聞 https://www.topics.or.jp/articles/-/144835

1.米津が紅白で『Lemonn』を熱唱
2.『Lemon』から『智恵子抄』へ
3.セレンディピティと棚の力
4.関心・興味の横にそっと「知」への扉を置こう

 

1.米津が紅白で『Lemon』を熱唱

2018年1231日に放送された第69回NHK紅白歌合戦、番組後半の全体における24番手、白組における20番手として米津は出演した。ただし、郷里の徳島県にある大塚国際美術館システィーナホール(鳴門市)からの生中継という形で。

米津はテレビ等のメディア露出が他のアーティスに比べ極端に少ないことで知られており、紅白への出演は彼のファンにとっても、またメディア関係者の間でも大きな話題となっていた。

実はNHKからのオファーに対し「祖父が暮らした故郷で歌唱することに大きな意味があるような気がして」と、祖父の死から一年が経ったのを節目としてゆかりの曲を地元で歌うことを条件に、出演を承諾していたのだった。

というのも、この『Lemon』、TVドラマ「アンナチュラル」の主題歌として作られ、「人の死」がキーワードとなるドラマの世界観を表現し、死と寄り添って生きる人間の深い悲しみを美しく歌い上げた楽曲。その制作中に彼は、祖父の死に遭遇していた。

(自身のtwitter https://twitter.com/hachi_08/status/1077824069649612800

夢ならばどれほどよかったでしょう
未だにあなたのことを夢にみる
忘れた物を取りに帰るように
古びた思い出の埃を払う
(『Lemon』(作詞作曲:米津玄師)より)

そして徳島県にある大塚国際美術館システィーナホールは日本最大級の常設展示スペース(延床面積29,412平米)を有する「陶板名画美術館」。

館内には、厳選された西洋名画1,000余点がオリジナル作品と同じ大きさに陶板で複製、展示されている。「それらは美術書や教科書と違い、原画が持つ本来の美術的価値を真に味わうことができ」ることを特徴としていて、紅白当日、米津はミケランジェロの「最後の審判」の前で歌った。

(名画さわってOK?! 『大塚国際美術館』の宝のまもりかた(tenki.jpサプリ2015年0307日)-日本気象協会tenki.jp https://tenki.jp/suppl/usagida/2015/03/07/2271.html

無数のキャンドルの明かりが照らす中、静かに歌い出した米津は最終場面で「今でもあなたはわたしの光」と、祈りに満ちた歌声を故郷・徳島から全国に届けた。

そしてそういった背景もあったのか、これまでテレビ番組の生出演のなかった米津は歌唱後、「この場を用意していただいたすべての方に感謝の気持ちを述べたいと思います。本当にどうもありがとうございました」と挨拶したのだった。

 

2.『Lemon』から『智恵子抄』へ

さて文学好きな人ならこの『Lemon』から梶井基次郎の『檸檬』を連想したかもしれない。

あの日の苦しみさえ
そのすべてを愛してた あなたとともに
胸に残り離れない 苦いレモンの匂い
(『Lemon』(作詞作曲:米津玄師)より)

実際、あるインタビューで「確かに「レモン」って文学的なニュアンスがあるとは思ってて。他にも高村光太郎の『智恵子抄』(「レモン哀歌」)とか。そういうものからレモンが無意識的に自分の頭の中にはあって、そこから出てきたっていう面はあるかもしれないです。」と米津は話している。(米津玄師『Lemon』インタビュー|Special|BillboardJAPAN http://www.billboard-japan.com/special/detail/2270

ここで『Lemon』から高村光太郎の『智恵子抄』(「レモン哀歌」)を連想した人はすでに、『智恵子抄』(「レモン哀歌」)の存在を知っていた人。

一方、イタンビュー記事から「へー、じゃ『智恵子抄』って読んでみようかな」と思った人もいる。この人は『智恵子抄』(「レモン哀歌」)の存在を知ってはいなかった人だ。(米津玄師「Lemon」に感化されて高村光太郎「智恵子抄」を読んでみた|doublework http://chaijjj.com/yonedu_lemon

高村光太郎は1883年(明治16年)生まれの日本を代表する彫刻家であり、画家。同時に近現代を代表する詩人としても有名。1956年(昭和31年)に亡くなっている。

『智恵子抄』は高村光太郎にとって2冊目の詩集。智恵子とは妻の高村智恵子のことで、彼女と結婚する以前(1911年)から彼女の死後(1941年)の30年間にわたって書かれた作品が収められている。

智恵子は福島出身の女性で旧姓長沼。福島高等女学校を総代として卒業すると日本女子大学校へと進んだ才女。普通予科を経て家政学部へと進んだが、在学中に油絵に興味を持つようになり、高村光太郎と知り合うきっかけとなった。

1914年(大正3年)12月、現在の東京都文京区千駄木のアトリエで光太郎との同棲を始める。しかし1918年(大正7年)5月の父・今朝吉の死、1929年(昭和4年)の長沼家の破産・一家離散、加えて以前から病弱(湿性肋膜炎)であったこともあり体調を崩し、1931年(昭和6年)統合失調症の最初の兆しが表れた。

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
(高村光太郎 「あどけない話」(詩集『智恵子抄』より) https://www.aozora.gr.jp/cards/001168/files/46669_25695.html

その後1933年(昭和8年)に光太郎は結婚・入籍をし、妻の療養に専念する。

「レモン哀歌」には死期が近いものへの哀悼、正気を失っている妻への憐憫の情が表現されている。

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
(高村光太郎 「あどけない話」(詩集『智恵子抄』より) https://www.aozora.gr.jp/cards/001168/files/46669_25695.html )

確かに米津の潜在意識に「レモン哀歌」があったとしても不思議ではない。

雨が降り止むまでは帰れない
切り分けた果実の片方の様に
今でもあなたはわたしの光
(『Lemon』(作詞作曲:米津玄師)より)

3.セレンディピティと棚の力

話しを元に戻そう。

『智恵子抄』(「レモン哀歌」)の存在を知ってはいなかった人の話だ。

楽曲からインタビューに触れ、詩集にたどり着く。

アーティストを仲立ちとして、読者が本と出会った

こういう偶然の出会いとでもいう現象を「セレンディピティ」という(いや正確には「最近そういう使い方がされる」)。

Serendipはセイロン(現スリランカ)の旧称。 セレンディピティ(serendipity)は英国の作家ホレス=ウォルポール(1717~1797)の造語。ウォルポール作の寓話The Three Princes of Serendip(1754)の主人公に備わる能力に由来する。

つまりもともとは「現象」ではなく、「能力」、求めずして思わぬ発見をする能力に与えられた単語だ。特に、科学分野で失敗が思わぬ大発見につながったときなどに使われる。

・アルキメデスはお風呂からあふれる水を見て、浮力の原理を発見した
・ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て、万有引力の法則を発見した

さてここで話題にしたいのが「(潜在的)読者と本との出会い」に関するセレンディピティと棚の力の話。

アマゾンは、本のタイトルを知っている(つまりその本の存在を知っている)読者に、即時性という利便性を提供してくれる(もちろん他に、コメントを読んで購入の判断をする利便性も提供)。「書店に行くより、今すぐ読みたい!」という衝動にかられたときに、その場で購入できる利便性が魅力だ。

書籍流通のデジタルトランスフォーメーションの一形態といえる。

ただしそれは、その本の存在を知っている読者向けのDX(デジタルトランスフォーメーション)。

いま求められているのは、その本の存在を知らない読者向けのDX、読者と本との出会いを演出する機能ではないだろうか。

もっとも「楽しむ読書」、小説などのジャンルの本に関しては、SNSがその機能をいかんなく発揮しているかもしれない。かつて書店の棚が発揮していた機能をSNSが肩代わりしてくれている。

ある時期まで書店には「棚の力」があった。書店で本を購入する場合、つまり

なんとなく本が欲しい→棚をうろうろする→自分の感覚にヒットする→買ってみようかな→購入

といったフローがあった。

しかしこの20年で「棚の力」は希薄化した。

日本の出版市場は1996年あたりをピークに凋落の一途。その間、出版社は新刊を出せばとりあえず取次が入金をしてくれる仕組みの存在に安住、市場規模が縮小するにもかかわらず新刊を出し急ぎ、年間新刊点数はウナギのぼりを続けてきた(ここ数年、変化の兆し)。他方書店の店舗総面積はほぼ横ばい、勢い書店のスタッフは手間ばかりが増える中、ランキング主義に陥り、「棚の力」を維持する気力も失せ、売上が下落する。そういう悪循環が続いてきたのだ。


(出版不況より深刻 漫画単行本、売り上げ激減 市場規模はピークから半減 - 産経ニュース https://www.sankei.com/entertainments/news/171225/ent1712250002-n1.html

(戦後の雑誌と書籍の発行点数をさぐる(不破雷蔵) - 個人 - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20171206-00078824/

この20年間のネットとモバイル端末の浸透で人々の、実は「時間」の争奪戦が勃発していた。それは業界横断的な事象であって、「読書」がゲーム、動画、SNSとの時間争奪戦にさらされているという、その視座が出版社に欠如していた。出版業界は本の存在を知らない読者向けの、書籍流通のデジタルトランスフォーメーション(DX)、読者と本との出会いを演出するPubtech開発へ向かうことを怠ってきた。

特に「知る読書」、ビジネス書、実用書、専門書のジャンルで事態は深刻だ。

 

4.関心・興味の横にそっと「知」への扉を置こう

海外で日本文学・日本語を研究する学者から聞いた話がある。英語圏で日本文学・日本語に関する専門用語をキーワードに、Googleを使って検索すると、GoogleBooksからの検索結果がずらりと並ぶ、なのに、なぜ本家であるはずの日本語圏では専門性の低い検索結果しか出てこないのか、研究テーマに関連した文献を探すのに苦労するという不満。

これは日本語文献の圧倒的な部分がデジタル化されていないか、されていても、Google検索にひっかかる形態にオープン化されていないからだ。

ネットとモバイル端末の浸透で人々の生活シーンは一変した。「ある関心・興味をいだくとまずググる」、のが当たり前になっている。読者と本との出会いを演出するには、ここになんらかのフックをかける工夫が必要だ。英語圏では、出版社ではなく、Googleがそれをやっている。

無論Googleができたのは、法律の土壌に違いがあったから。つまり「フェアユース」条項があったればこそ。(フェアユース Google Book訴訟と |EdTechPedia https://society-zero.com/chienotane/archives/3155

この点に関しては日本でも先の著作権改正で、「フェアユース」条項導入とは異なるやりかたでGoogleBooks同様のことを実践することが法律上、技術上可能になる手立ては講じられた。ハードルは下がったともいえるが、Google並みの資本投下力がないとGoogleBooksと同じことを具体化するのはなかなか難しい。

なんらかの別のやりかたで、その本の存在を知らない読者向けの、書籍流通のデジタルトランスフォーメーション(DX)、読者と本との出会いを演出するPubtech開発をすることが重要な業界課題だといえる。

『Lemon』の楽曲からインタビューに触れ、『智恵子抄』にたどり着いたような、このセレンディピティとパラレルな、書籍情報流通のデジタルトランスフォーメーションが待たれる。

つまり潜在的読者の、関心・興味の横にそっと「知」への扉を置く工夫。それが出版業界、とりわけ、「知る読書」、ビジネス書、実用書、専門書のジャンルでは欠かせない。20年来の凋落を克服するには。

写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
(高村光太郎 「あどけない話」(詩集『智恵子抄』より) https://www.aozora.gr.jp/cards/001168/files/46669_25695.html )

 


★iCardbook(アイカードブック)は、カード型ebookの形態で、書籍流通のデジタルトランスフォーメーションを企図した新しいホンの形です。ラインナップの中からPubtechに欠かせない人工知能(AI)に関連した書籍は以下の3点。

◎ゲームの中で動いているキャラクターAIに関する、AIの本質論の書。そもそも知能とは環境と人間のインタラクティブな関係、相互作用から生まれたもの。サイエンスとエンジニアリングと哲学を駆使し、AIそして知能に迫る。著者:三宅陽一郎。

■『人工知能と人工知性』の参考文献リスト https://society-zero.com/reference/006.html

◎AIはコンピュータからの産物。電気信号で動いています。ところが人間の知能も実は、神経回路の「発火作用」で動いているのです。「神経回路」から「脳」を理解し、「知能」を解明し、AIとの違いにも迫ります。池谷裕二先生のもとで博士号を取得され、神経科学の第一線で活躍されている佐々木拓哉先生の著書。

■『脳と情報』の参考文献リスト https://society-zero.com/reference/007.html

◎境祐司氏の電子書籍。会社でAIを担当するよう命じられ途方に暮れている人のための入門書。はじめてAIを本格的に勉強しようとする人のためのガイダンス。デザインの要素知識から始まって、AIの本質論へ迫っていく、ミニ辞典。

■『人工知能と商業デザイン』の参考文献リスト https://society-zero.com/reference/005.html