アドビの「Adobe Sensei」は福音か、凶報か

日本でも転職はめずらしいことでなくなってきました。DODA、ユーキャンなどのサイトへの来訪者規模はかなりの規模に達するそうです。他方、ある転職サイトの「キャッチ」が「転職は慎重に」となるほどに、転職がむしろ過剰に行われているのかもしれません。

ところであなたはAI(人工知能)の基礎知識を持っていますか?
商業デザインの仕事とその仕事が対象としている社会への、AIの影響についてどこまでの知識と理解を持っていますか?
AIについての基礎知識、本質的理解なしに転職して大丈夫でしょうか。転職先での競争に勝っていけるでしょうか。

いやAIはひとつの例に過ぎません。ビジネス、日常生活、政治、さまざまな局面で「知の体制」に変動が生じ、わたしたちはいま、「人間社会」の仕組み、システムの大きな「移行期」を生きています。文明の巨大な地殻変動が起きつつあることをあなた自身も、実は薄々感じてはいないでしょうか。

 

1.「今ほどデザインが重要な時代はない」

Adobe MAXは、総勢1万4000人のクリエイターが集結する年に一度のクリエイティブカンファレンス。アドビ社は、2018年10月15日米ロサンゼルスにて、そして11月20日にはパシフィコ横浜でこれを開催。同社のクリエイティブプラットフォーム「Adobe Creative Cloud」の次期アップデートのほか、新設計のアプリ群などを発表しました。

ロサンゼルスで基調講演に登壇したアドビシステムズ社長のシャンタヌ・ナラヤン氏は「今ほどデザインが重要な時はない。クリエイティビティの黄金時代にきている。」としたうえで、クリエイターや個人、企業問わず、ストーリーを伝えるにはクリエイティブが必要不可欠な時代になったと強調しました。

そして会場に詰めかけた人々は、その後訪れたブースやアドビのエンジニアが開発中の機能をデモしてヤジを飛ばすというSNEAKSというイベントなどに参加、アドビマジックの斬新さに興奮したのです。

 

2.Adobe Senseiのマジック(魔法)

さてこの、「アドビマジック」。この実現に人工知能(AI)が寄与していることは、日本でもう常識でしょうか。

アドビには、PhotoshopやIllustratorなどからなる「Creative Cloud」と、マーケティングツールの「Experience Cloud」、文書のやりとりをスマートにする「Document Cloud」の3つのクラウドサービスがあります。これら3つすべての裏では、機械学習のシステム、人工知能が動いています。

それが「Adobe Sensei」。

「(それは)複雑なユーザーエクスペリエンスの課題を解決してくれる高度な科学技術です。人工知能(AI)と機械学習、さらにアドビの持つ膨大なコンテンツとデータアセットを使用し、世界最高峰のデジタルエクスペリエンスを支えているアドビマジックの正体が、Adobe Senseiです。( https://www.adobe.com/jp/sensei.html )」

インストラクショナルデザイナーの境祐司氏はアドビ公認のエバンジェリストの一人。その境氏が2018年2月、アドビ システムズ株式会社 フィールドプロダクトマネージャーの岩本崇氏とともに、日本電子出版協会(JEPA)のセミナーの講師として「電子出版とAI」について語りました。

境氏はアドビマジックのひとつとして、「閉じた目を空けさせる/にっこり微笑ませる」、「AIによる切り抜きと自動補正」といった機能を紹介しましたが、そこからほぼ半年を経過したAdobe MAXで、2月の講演で将来の可能性として紹介した、さらに高度な機能がほぼ実現されていて、そのスピードに驚いたといいます。

(2月のJEPAのセミナー)
・「今まで練習が必要だった切り抜きやレタッチはほぼ自動化されていく。たとえば、閉じた目が空き、への字の口元を微笑ませるのにもAIが使われ、あっという間に実現される。」

・AIによる切り抜きと自動補正を使い、15秒で完成。

(10月のAdobe MAX)
・イラストの中でブラシを描くと、そこに雨を降らせられる。

・被写体と背景の関係をAdobe Senseiが自動認識。「Animate」というボタンをクリックするだけで、視差のある立体的なモーションが実現。

こういう魔法のようなことが可能なのは、Adobe社が膨大なユーザーデータやコンテンツ(ビッグデータ)を保有しているからです。約1億点のアセットストックとその活用事例、トランザクションデータ150兆件を、「Adobe Sensei」が学習した成果が、アドビマジックなのです。それは日々蓄積されるデータ群により知能を向上させ続けています。

そう、「Adobe Sensei」は「永遠の学習者」なのです。

(ちなみにAdobe製品のユーザーがA Iに個人データを提供したくないときは、ユーザー管理画面にログインして「機械学習」をOFFにすればよい)

 

3.魔法のような機能と生産性の向上

さてそれでは、コンテンツ・インテリジェンスという言葉、基礎用語を知っていますか。

これは、A I(人工知能)によって実現するクリエイティブワークの一つの概念で、創作物そのものがインテリジェンスを持ち、人間のイマジネーションを拡張すること。そこでは「技術」と「魔法」の区別がつかなくなると言われるほど、人間の想像力を超えた創作、表現が可能になるのです。

アドビ社が「Adobe Sensei」を使うことで目指す世界観でもあります。

・仕事のスピードアップ
・クリエイティビティの解放
・新たな表現への挑戦

この3つを、アドビ米国本社 Creative Cloud担当エグゼクティブバイスプレジデントのスコット・ベルスキー氏は、「Adobe Creative Cloud」チームの開発指針として掲げました。

複雑な画像のマスキングや撮影した写真のタグ付けなど、時間のかかるタスクを「Adobe Sensei」がサポートしてくれることで、「仕事のスピードアップ」がはかられ、生産性が向上します。時間の余裕ができることで、「Adobe Sensei」がサポートする新たな表現領域へ進出することも可能になってきます。

「Adobe Sensei」の出現はデザイナーにとって福音といっていいでしょう。

アドビが行った日本のクリエイティブプロフェッショナル向けの調査でも、「7割の人が業務の半分以上が単調な繰り返しやクリエイティブではないタスクであると感じている」とのこと。

他方、「AIによって仕事がなくなる」、つまり「Adobe Sensei」の出現はデザイナーにとって凶報という話もあります。

「デザイナーなどのプロフェッショナルが可もなく不可もない作品を作っていると、瞬く間に、安価なAIベースのツールを使う素人に追い抜かれていく時代がやってきた」

これはさきほどのアドビエバンジェリスト、境祐司氏のJEPAセミナーでの指摘です。

 

4.あなたは残る人?消える人?

被写体を切り抜く仕事、いわゆるオペレーターがやっている仕事はクリエイターの仕事ではないと、いやでも気づかされる時代がやってきています。それは「クリエイティブって何だろう?」ということを再考する状況でもあります。

逆に、オペレーターの人がオペレーターのまま50年やっていきたいと考えていると、仕事はなくなるのだけれども、彼が「学習者」の道を選ぶなら、オペレーターからディレクターに職種チェンジするチャンスをくれる、そういう時代の到来でもあります。

残る人となるか、消える人となるか。それはあなた次第なのです。

 

5.アップグレードの無限競争と永遠の初心者

ところで今となっては昔流行った(2000年代中頃)バズワードでしょうが、「WEB2.0」と言われたことがありました。「インターネットで提供されるサービスの質が変わった」、あるいは「Webってこういう特質をもった世界だよね。いままでとはここが違う」、と感じたことの総称として使われた単語です。

2005年9月にティム・オライリー氏が発表した論文「What Is Web 2.0」(Web2.0とは何か)の中で次世代インターネットを象徴する言葉として紹介されたキーワードで、

・ユーザー主導
・リッチなユーザー体験

などがその主な内容です。

従来Yahoo!ディレクトリなどのように、情報はツリーのように整理・配置され、またその整理の担い手は大企業でした。それが、個人による自由な整理にとって代わりました。情報はハイパーリンクにより、ネットワーク上に分散・配置されていた方がよいことになりました。

またそれまで、WebサイトがもっぱらHTMLやCSSで構成され、「静的なページ」として提供されていたのに対し、Ajax(Asynchronous JavaScript + XML)に代表される動的・双方的な技術の登場で、今日私たちが体験している画像や動画、SNSの基礎が整備されました。

この「WEB2.0」を、ビジネスモデルとして取り上げる際使われたのが、ロングテール(アマゾンで有名ですね)と永遠のベータ版、のキーワードでした。

ベータ版とはもともと未完成商品のことで本来売り物ではないのですが、たとえばマイクロソフトは昔から、登録したユーザーにWindowsのベータ版を提供し、その意見をフィードバックさせて正式な製品版へと完成さていく、ということをやってていました。

ところが「WEB2.0」時代の到来とともに、あえて「これは未完成品のベータ版です」ということをユーザーに周知しながら、サービスの中身をユーザーの利用動向に合わせて修正させたり、あるいは多少の不具合が出てもいいから新機能を搭載することが当たり前になってきたのでした。

さらに2010年代には「アップグレード」が当たり前、いや必須になってきたのです。メンテナンスしない限りその製品、サービスは他社の製品、サービスにとってかわられます。

つまり情報技術に関連したシステムにとってはアップグレードを続けることが不可欠となりました。

主要なコンピューターのOSやスマホで使われているアプリでは「自動アップデート」が行われ、常に「更新」のお知らせが来ますね。ユーザーは「更新」のお知らせに対し「OK」のボタンを押すだけ。するとマシンはある意味影に隠れて、自らをアップグレードし、そして時間とともに静かに自らを変えていくのです。

この結果、「永遠のベータ版」ならぬ、「永遠の初心者」という現象が現れました。

あるツールをどんなに長く使っていたとしても、際限のないアップグレードのせいで、あなたは初心者つまりどう使っていいかまるでわからない新米ユーザになってしまう、という事態が日常化したのです。

そこに年齢や経験は関係ありません。「永遠の初心者」が誰にとっても「デフォルト」だという時代がやってきたのです。

これはつまり、年齢や経験に関係なく、私たちは「永遠の学習者」でなければならない、ということを意味します。

 

6.成書を読むメリットが爆発する時代

年齢や経験に関係なく、「永遠の学習者」でなければならない時代。この新事態には、紙版であろうが電子版であろうが問いません、「成書」を読むことが個人の差別化の条件になります。

細かい作業や複数パターンを作成する、データを解析するといったことに関する、ツールのアップグレードへの対応だけであれば、ネットからの情報探索で事足りるでしょう。

しかし、上で見たように、時代は、少なくともアドビ社は、「クリエイティブって何だろう?」と考えることがクリエイターの大事な責務になってくる、そういう執務環境を準備しつつあります。ただ作業を素早くこなすことだけでは生き残れません。

対象となるビジネスとその変化について、基礎概念を正確に理解し、背景にある大きな変化や本質論について認識を深める必要があります。ここは「成書」を読むしかありません。

しかも今がチャンスです。今は「成書」を読むことが個人の差別化の条件となっています。なぜなら、人々が急速に本を読まなくなっているからです。ゲームとマンガだけに時間を消費してしまっているのは折角のこのチャンスをみすみす逃すことになるでしょう。世界の中で日本は、ゲームアプリとマンガの電子書籍が異様に売れている国です。あなたにとってこの状況は逆にチャンスです。

アドビの「Adobe Sensei」を福音とするには、成書を読むメリットを追い求めるべきでしょう。

 


◎境祐司氏の電子書籍。会社でAIを担当するよう命じられ途方に暮れている人のための入門書。はじめてAIを本格的に勉強しようとする人のためのガイダンス。デザインの要素知識から始まって、AIの本質論へ迫っていく、ミニ辞典。

■『人工知能と商業デザイン』の参考文献リスト https://society-zero.com/reference/005.html

◎ゲームの中で動いているキャラクターAIに関する、AIの本質論の書。そもそも知能とは環境と人間のインタラクティブな関係、相互作用から生まれたもの。サイエンスとエンジニアリングと哲学を駆使し、AIそして知能に迫る。著者:三宅陽一郎。

■『人工知能と人工知性』の参考文献リスト https://society-zero.com/reference/006.html

◎AIはコンピュータからの産物。電気信号で動いています。ところが人間の知能も実は、神経回路の「発火作用」で動いているのです。「神経回路」から「脳」を理解し、「知能」を解明し、AIとの違いにも迫ります。池谷裕二先生のもとで博士号を取得され、神経科学の第一線で活躍されている佐々木拓哉先生の著書。

■『脳と情報』の参考文献リスト https://society-zero.com/reference/007.html

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