「井筒俊彦と内面の人工知能」【セミナー備忘録】

(個人用のメモです。議事録ではありません。特に今回は、哲学の話で専門用語も多く、自分が理解した(と思った)ところを、どちらかというと自分の言い回し(とりわけ[ ]の部分)で記述しています。内容と表現、両方の点で正確には三宅さんが「こういった」というものでない点、ご容赦ください))

■セミナー概要

SIG-AI「人工知能のための哲学塾」東洋編 第弐夜「井筒俊彦と内面の人工知能」

SIG-AI正世話人の三宅陽一郎が、日本が生んだ天才哲学者によるアラビア哲学と東洋哲学の思索を頼りに、「心や意識がどのように立ち上がるのか?」について解説します。

日時 2017年5月15日(月) 19:30-22:15(開場19:15)
会場 株式会社Donuts(東京都渋谷区代々木2丁目2-1 小田急サザンタワー8階)

■全体の位置づけ

三宅さんの立ち位置ははっきりしている。極めてシンプル。

ゲーム・プログラミングを進化させたい。

エンターテイメントとしてもっともっと楽しんでもらえるよう、豊かな表現ができるゲーム・プログラミングにチャレンジしていきたい。

しかし21世紀を迎えたあたりから、ゲームのプログラミングは新しい局面を迎える。「身体」をゲームキャラクターが身にまとい始めたからだ。

「90年代半ばから、ゲームのステージは3D化し、物理シミュレーションが入るようになり、さらにゲームキャラクターもボーンと呼ばれる骨の入った構造を動かすことで動作するようになりました。そこで、複雑な身体を持ったキャラクターを3D空間で動かす強力な人工知能が必要となったのです。」(出典:『<人工知能>と<人工知性>』知識カード デジタルゲームと人工知能   )

キャラクターAI、ゲームへの人工知能実装が必須となった。出発点はゲームキャラクターの身体の獲得、そしてその延長線上の「知能」の実装の要請。そこで三宅氏がゲーム業界参加当初から抱いていた信念、「人工知能は工学(エンジニアリング)であり、科学(サイエン)であり、哲学(フィロソフィー)なのである。」をより先鋭的に、具体化していくことになった。

そういった問題意識と日々のプログラミングの現場から、「人工知能のための哲学塾」構想が産まれ、哲学を使って、どうやってゲームへの人工知能実装へ向かっていくかのヒントを探り、それを啓蒙していく活動が始まった。2015年から西洋編が始まり、今年2017年から続編、東洋編が始まった。今回はその「第弐夜」。

第一章 三宅の意識モデル
第二章 イントロダクション - 東洋哲学と人工知能 -
第三章 井筒俊彦の意識の構造モデル
第四章 言語アラヤ識からの意識モデル
第五章 イブン・アラビーの存在論(イスラーム哲学)
第六章 機能的モデル(西洋)と存在論(東洋)の対立


第一章 三宅の意識モデル

1.三宅さんは主客同一の谷淳氏の発想をベースに考えてきた。主客同一の谷淳氏の発想とは次のようなもの。特にトップダウンとボトムアップの相互作用、という部分。

「認識の結果は主体の内部を変化させ、また生成された行為は環境を変化させる。この相互作用を通して、主体から出発したトップダウンの流れと客体から出発したボトムアップの流れは分離不可能になり、もはや主体と客体といった区別は無意味になる。この時に初めて、古典的な認知論で想定されてきた、客体として操作される表象と、それを操作する主体といった構図からも自由になれるのである。(谷淳、「力学系に基づく構成論的な認知の理解」『脳・身体性・ロボット : 知能の創発をめざして』所収)

三宅さんの場合、主体とはゲーム・キャラクターのBODY、客体とはゲーム世界のWorldのこと。

2.そしてトップダウンとボトムアップの相互作用、外部からの流れと主体的な流れが交わるポイントに「意識」が形成され、「自我」が産まれると考える。

2.この意識と自我の基底に措定される「知能」、これを人工知能として具備させるに際し、「身体性」をキーワードにした様々な工夫がなされてきた。その努力の過程には大きく二つの流れが認められる。ひとつは「記号的アプローチ」、それはキャラクターと環境のインタラクションの中から、主体、客体、行動をビルドアップしていくもの。

「記号主義」。記号系(シンボルの集合)によって知能を表現します。記号による構造化されたソフトウェアによる、巨大な情報処理装置を作り上げる方法論です。」(出典:『<人工知能>と<人工知性>』知識カード 記号主義  )

3.二つ目は「コネクショニズム」。これはニューラルネットワーク的アプローチと言ってもいいが、それは主体、客体、行動が混合した状態を作り出す

「一九五十年代に脳のニューロンの組み合わせを数学的にモデル化したものがニューラルネットワークです。コネクショニズムとは、ニューラルネットワークによって知能を実現しようとするアプローチのことです。」(『<人工知能>と<人工知性>』知識カード コネクショニズム  )

4.これらのアプローチの下、より具体的な成果物として、エージェント・アーキテクチャやサブサンプション・アーキテクチャを構築してきた。

「ゲームキャラクターの人工知能を作るエンジニアリング(プログラミング)の枠組みは、「エージェント・アーキテクチャ」を基礎としています(出典:『<人工知能>と<人工知性>』知識カード ゲームキャラクターの人工知能  )」。そして、エージェント・アーキテクチャは、知能と世界をセンサーとエフェクターによって結ぶアーキテクチャです(出典:『<人工知能>と<人工知性>』知識カード センサーとエフェクター  )。

また「サブサンプション構造は一九八十年代にロボティクスから発想された概念(出典:『<人工知能>と<人工知性>』知識カード サブサンプション構造  )。ただゲームキャラクターの「出発点となるのは環世界の人為的な構築であり、そこからサブサンプション構造のように知能の層を上へ上へと構築して行く方法なのです(出典:『<人工知能>と<人工知性>』知識カード キャラクターの行動  )。

 
第二章 イントロダクション - 東洋哲学と人工知能

1.なぜ今回東洋哲学を取り上げようと考えたか。それは、記号主義のシンボルの世界観とコネクショニズムのニューラルネットワークの世界の、その下にもうひとつ、「混沌」がないといけない。「混沌」を何とかゲームAIの中に取り込みたいかと考えたから。東洋哲学には「混沌」への考察があるのだ。

2.まず東西の哲学の思潮とゲームAIをマッピングする。西洋哲学は機能論からしか「知能」を見ることをしない。存在論から「知能」を見ることがない。他方、東洋哲学は逆で、存在論から「知能」を見ていて、機能論が欠落している。

実は、ゲームAIが構築してきたエージェント・アーキテクチャは、ちょうど両者の間に位置づけられえ、ゲームの人工知能を考えることで、西洋哲学と東洋哲学との橋渡しができるのではないか、そういう斬新な試み、野望さえも抱いている。

3.なぜ混沌がゲームAIに必要と考えるか。これまでエージェント・アーキテクチャやサブサンプション・アーキテクチャの構造をどんどん精緻化してきたが、その発想の根っこには西洋哲学の発想があった。あったがために、この方法論で突き詰めていくと「虚無」に至るからだ。
まず西洋哲学の成果たる、ユクスキュルの「環世界」。こういった物質からの生成的形成があり、同時に生物には情報的側面があるということでボトムから上へ上へと上がっていく。

そして「遅延」概念から他の生物と異なる人間固有の「知能」の特性が浮かび上がり、「文化世界」が見えてくるのだが、この「上へ上へ」ではどうしても、最後に情報学的自己完結の局面を迎え、「虚無」が見えてくる。


※ちなみに、ここで登場した「文化世界」の概念は「第四章 言語アラヤ識からの意識モデル」に説明が出てくる。

 

第三章 井筒俊彦の意識の構造モデル/第四章 言語アラヤ識からの意識モデル

1.井筒俊彦の意識の構造モデルは『意味と本質』で語られていて、図示すると次のようになる。「識」の文字に赤色をつけておいたが、このモデルは東洋哲学の「唯識(詩想)」がベースになっているから。

2.このなかで「アラヤ識」とは、「唯識(思想)」の体系上、一番下に位置づけられるもの。

3.[まず「唯識(思想)」とは「一切の物事はそれを認識する心の現れだとする考え方」だがサンスクリット語でビジュニャプティ・マートラター。この単語のうち、ビジュニャプティはわれわれの「認識(ビジュニャーナ)の表象」を指しマートラは「ただ」「のみ」の語義。つまり唯識とは、自己およびこの世界の諸事物はわれわれの認識の表象にすぎず、認識以外の事物の実在しないことをいう。

「例えば、信号機があっても、何かに気を取られていて、その信号機に気づかなければ、無いのも同然です。そこにあることを認識した人に、はじめて存在することになります。
先生と生徒、互いに相手をそのように認識して、はじめて先生と生徒の関係が成り立ちます。そう思わなければ、先生と生徒の関係は成り立ちません。(出典:唯識 http://tobifudo.jp/newmon/okyo/yuishiki.html )」

だから、この世の事物・現象は、絶対客体として実在しているのではなく、人間の心の根源であるアラヤ識(阿頼耶識)が展開して生じたものだと、唯識は説明する。]

4.[次にアラヤ識(阿頼耶識)はサンスクリット語のアーラヤ・ビジニャーナの音写。アーラヤは住所、あるいは蔵。また拠り所の意味も。ビジュニャーナは認識。つまり我々が認識を行う「種」になるものが貯蔵されている場所、認識が生まれる拠り所となる場所のこと。

5.[もともと井筒俊彦を取り上げたのは、「混沌」を理解するために、井筒俊彦が解説するイスラーム思想に依拠するためだったのだが、井筒俊彦の意識の構造モデル、そのベースになっている唯識、そしてその中のアラヤ識(阿頼耶識)論にも西洋哲学からの制約を破るヒントがある。]

まず今一度、ソシュール、ユクスキュル、カール・ポパーらの思弁の内容を整理する。

ソシュールは語と、語の意味するものとの間には齟齬があり、結果、言語に恣意性があることを認めつつ、その一方で「社会から押し付けられる」ものとの位置づけを行っている(東洋哲学にはこの考え方の閉塞感を打ち破るモデルを、アラヤ識として準備しているのだが)。

ユクスキュルの「環世界」、これは生物に共通のもの。しかし人間がひとり、この「環世界」の上に「文化世界」を構築した。言葉によって。
レヴィ=ストロースは「自然と「文化」を分かつものこそ、言語だとした。

しかし能動的に構築したと同時に、実は我々は「文化世界」からある強制を受けている。言葉が非「自然」の所産である象徴として指弾を受ける。西洋哲学においては。

[つまり[文化世界はカール・ポパーにより「目に見えぬ牢獄」に譬えられている。これは文化世界の持つ「強制力」あるいは「規範力」の指摘だ。
「一つの共同体に属する人々の一人一人の欲望、価値観、行動の動機付け、ものの見方、ものの考え方、感じ方を、その共同体の文化は強力に縛る。(略 だが)我々は、通常、それを意識しない。丁度、不断に空気を呼吸しながら、それを意識しないように(「文化と言語アラヤ識 『井筒俊彦全集 第八巻』所収」)。」]

6.西洋哲学は言語が対象としている、「言葉にならぬ前の現象」そのものを重視せよ、というのに対し、東洋哲学は、「言葉にならぬ前の現象」からさらに「現象以前」を前景化し、それは見えないが、在る、という。在る、というばかりかそこにこそ重要なものがある、とする。ユクスキュルが生物は、そして人間は「分節」した世界を見るだけだ、というのに対し、しかし例えば禅は、その「分節」を行う「知識」を一度壊してみようと、考える。

7.[「文化を成立させるコトバの意味生産的メカニズムには、もっと可塑的な、力動的な側面があるのだ。(略)実は、言葉は、従って文化は、社会制度固定的性によって特徴づけられる表層次元の下に、隠れた深層構造を持っている(筆者註:これこそアラヤ識)。そこでは、言語的意味は、流動的、不動的な未定形性を示す。本源的な意味誘導の世界。(略)意味というよりは、むしろ「意味可能体」である(出典:(「文化と言語アラヤ識 『井筒俊彦全集 第八巻』所収」)。」]

不動点 まとめ

8.[西洋哲学と異なり、東洋哲学は言葉以前の、言葉になろうとするあるものを措定するところまでは思考を伸ばしたが、それとて固定的ななにかだった。これに対し、東洋哲学は、さらに、「意味深層に働く、明確な分節性のない「呟き」のようなもの、あるいは「原基意味形成素」ないし「意味可能性」」を、モデルとして準備していた。これを唯識派では「種子(しゅじ)」という。
そして、アラヤ識こそ、「種子」のたまり場。

これを井筒俊彦は、「言語アラヤ識」と命名する。

それは「まだ辞書的に固定された意味として、出現するには至っていない、あるいは、まだ出現しきっていない、「意味可能体」、つまり、まだ社会制度としての言語のコードに形式的に組み込まれていない不動的な意味の貯蔵庫(出典:(「文化と言語アラヤ識 『井筒俊彦全集 第八巻』所収」)」、それがアラヤ識である。
 

第五章 イブン・アラビーの存在論(イスラーム哲学)

1.さていよいよ、「混沌」に向き合おう。
東洋哲学は、「現象以前」は見えないが、在る、という。在る、というばかりかそこにこそ重要なものがある、とする。「現象以前」とはイスラームの宗教的コンテクストでは、すなわち「神」のことである。「神」は空間的に「上位」に位置する。そしてその上位の「神」から出発して、人間の意識世界を記述するやり方を、イスラーム思想はとっている。
つまり、西洋哲学が機能論を突き詰め、人間存在の虚無に至るのに対し、東洋哲学はトップダウン型がその特徴だ。

2.ボトムダウンとトップダウンはどうしてもぶつかり合うと考えられる。

3.しかし、西洋のトップが「虚無」で、東洋のボトムが「混沌」ならば、ここに案外西洋と東洋の繋がりを発見できるかもしれない。

まずは思考実験として、二つのモデルをつないだら何が起きるか考えてみよう。

 
第六章 機能的モデル(西洋)と存在論(東洋)、二つのモデルと対立と融合

1.西洋モデルはこうなる。が、構築的「虚無」が避けて通れない。

2.東洋モデルはこうなる。

3.この融合が図れないか。

4.3.をエンジニアリングしてみる。すると人工知能モデルに「ホメオタシス」と「アポトーシス」を実現できるモデルの構築ができるようになる未来がみえてくる。

東西融合 まとめ


◎<人工知能>と<人工知性>— 環境、身体、知能の関係から解き明かすAI—  三宅陽一郎
http://society-zero.com/icardbook/006/index.html

人工知能と人工知性

人工知能と人工知性