「クリエイティブな人のための哲学塾」【セミナー備忘録】

(個人用のメモです。議事録ではありません。特に今回は、哲学の話で専門用語も多く、自分が理解した(と思った)ところを、どちらかというと自分の言い回し(とりわけ[ ]の部分)で記述しています。内容と表現、両方の点で正確には三宅さんが「こういった」というものでない点、ご容赦ください)

■セミナー概要
「クリエイティブな人のための哲学塾」

『人工知能のための哲学塾』の著者 三宅陽一郎さんによる、創造性と哲学の関係を探求する講座がスタートします。
「創造性とは何か?」「哲学とは何か?」
これまで哲学を足がかりに「知能」を追求してきた三宅陽一郎が、「創造性」というテーマで「哲学」を語ります。
日時:2017年5月9日(火)18:50〜21:00
場所:ドコモ・イノベーションビレッジ
東京都港区赤坂一丁目12番32号 アーク森ビル31階

■スライド資料

■要約:

[私たちが日々生活し、生きている、この瞬間、瞬間に、私たちの知能はきわめてダイナミックかつ躍動的なクリエイティビティを発揮している。
ビジネスの世界で、「どうやったらクリエティビティが発揮できるのか」といったノウハウに関する議論が盛んだ。その議論は、大方の人間は、大方の時間を、非創造的に過ごしているといった理解を暗黙の前提としている。
しかしその前提は間違っている。我々が行っている知能の活動メカニズムを知らないからこそ沸き起こっている議論だといえる。まずは「知能の活動のメカニズム」に関する哲学者、科学思想家の研究成果を吟味したうえで、あらためて「ビジネスの世界でいうクリエティビティ」のヒントを探ることにしてみたい。]
◎開催にあたって(「クリエイティブな人のための哲学塾」) http://society-zero.com/chienotane/archives/5327

第一章 認知と創造性~ソシュール~
第二章 行為と創造性~プリゴジン~
第三章 線形システム、非線形システム~ベルクソン~
第四章 物語と記憶と創造性~デリダ~
第五章 生きてる世界の創造~ユクスキュル~

第一章 認知と創造性

◎我々が見ている主観的認識世界は、我々が世界と協調して作り出している。

1.知能は身体と密接なかかわりがある。脳がそもそも身体の一部だが、脳だけに知能が宿っているわけではない。たとえば脳の中心の部位は身体とつながっていて、生理機能(知的機能)を司っている。

2.我々が知能と想定しているものは多分に意識上のものだ。しかし実は知能は無意識下にもある。いやむしろ無意識下で知能が働く領域の方が広大だ。たとえばモノを食べる行為は意識上の知的行為だが、消化はどうだろう。そして「認知」という行為はこの広大な無意識の領域から意識の領域へ言語回路を生成する運動に他ならない。これは極めてダイナミックかつ躍動的な行為。とてもクリエイティブなことを我々は毎瞬間、毎瞬間行っているのだ。

3.ここで言葉は、「認知」という行為が無意識から意識の上へ遡上する際に産まれるもの。外部からの情報に促されて、知能は世界を解釈し、言葉を付与する。

4.シニフィアン(signifiant)とシニフィエ(signifié)は、フェルディナン・ド・ソシュールによってはじめて定義された言語学用語だ。フランス語で「シニフィアン」は「意味するもの(能記)」、「シニフィエ」は「意味されるもの(所記)」。つまり、意識の下にあって言葉があてがわれてない、あるものが、言葉により形あるものとして意識上に彫刻されてくるのだ。

5.この過程は、精神が言葉により構造化される工程だといっていい。だがそれは一方で「世界を分節」してしまってもいる。区分されてしまったものを私たちは「世界」と認識し、分節化された世界を一人一人が生きている。だから客観的・絶対的世界などというものは実は存在しないのだと言い換えてもいいだろう。

6.つまり言葉という「記号」とその「記号」が指し示す「記号以前の実体」とは決して一致はしない。そこには、あるスクリーニングがあるからだ。だから人間が言葉を獲得していく過程は、一方でで社会から与えられたものを習得するということだが、同時にそれはある特定のスクリーニングを社会から押し付けられているともいえる。

[「子どもは、そもそも自分にどんな情報が必要なのかわからず、自分の情報ニーズをうまく言語化できない(略)。そこで自然と子どもたちは、身の回りの環境から与えられる情報にただ身を浸し、とりわけ家族のように縁の深い人々の影響を受けながら、さまざまな意識化を通じて成長していく。」(出典:●意識が探る環境 ― ひとは情報とどのように出会うのか http://society-zero.com/chienotane/archives/3235/#3 )]

7.このことを踏まえて、「ビジネスの世界でいうクリエティビティ」のヒントを探ると、「言語化しないで考えてみよう」という方法論が浮かぶ。社会を変革するような、クリエイティブなアイデア、発想を得るには、言語化する以前のイメージの力を解放してやることが大事だろう。社会から押し付けられた特定のスクリーニングを打ち破ることがビジネスの世界でいう「クリエティビティ」につながっていくに違いない。

8.さて次に、ここまでに解明された「認知」のプロセスと、身体性とのかかわりを述べる。人間の精神は外部からの情報を解釈し、言葉に凝集させ無意識下から意識の上へ顕在化させる。同時に、そのことを契機としてある特定の運動が惹起される。この運動こそは身体とかかわる部分だ。運動は反応を呼び、それがまた情報としてフィードバックされる。(この点はのちほど触れる「環世界」に登場する、「知覚世界」「作用世界」と関わってくるのでkeep in mind)

9.だから「我々は一瞬一瞬、 外界、世界と協同して、 自分の主観世界を構築している」。「創造している」。「認知」とはこのような意味において、そもそもきわめてクリエイティブな現象なのだ。

 

第二章 行為と創造性

◎我々が行う行為もまた、我々が世界と協調して作り出している。

1.まずエントロピー。自分の部屋はほっておくとどんどん乱雑になる。お湯と水をひとつの器に入れると、ゆるま湯となり、もとのお湯と水に戻り、別れることはない。つまり物事には一般に無秩序へ向かう傾向が見てとれる。

2.しかしどうだろう、生物には自己組織化という、エントロピーとは真逆の傾向もある。これは構造のヒステリシスと呼ばれる現象。

3.インプットがあり、アウトブットがある。エネルギーを取り入れ、老廃物を排出する。この中間に内部構造を生成し、維持し続ける、あるメカニカルな次元がある。生物では代謝がそれにあたる。つまり、生物が生物でいられるのは、開きつつ(インプット/アウトプット)、閉じている(内部構造を生成し、それを維持し続ける)からだ。

4.この内と外との交流の事を「散逸構造」という。散逸構造は『存在から発展へ』(1980年)や『複雑性の探究』(1989年)などの著作で科学思想のみならず時代思潮に影響を与えたイリヤ・プリゴジンが提唱した概念だ。地球の誕生が46億年前。その6億年後、つまり40億年前に生命が誕生したが、この生命の誕生こそ、原始の海での構造化=外と内の形成、散逸構造の賜物だった。さてここまでは物質世界の話。実は似たことが精神世界にもあるのだ。

5.まず物次元にも、非物質性があることを示す。テセウスの船(のパラドックス)という逸話がある。船の老朽化した部分を、新しい木に入れ替えているうちに、 全部を入れ替えてしまった。はたしてこの船は元の船と同一のものであろうか? 普通は「同じ」というだろう。つまり物には、物質でありながら、物質によらず不変なものがあるのだ。それは「構造(ここでは船の機能を果たす、ある構造)」であり、さらに「構造」とは「情報」のことだ。

6.つまり生物は物質的存在であると同時に、情報的存在でもあるのだ。物質は情報に存在を与え、情報は物質に構造を与える。そしてこの「物質と情報」はそのまま、「身体と精神・知性」の関係になぞらえることができる。

7.情報にもインプットがありアウトブットがある。物質的存在としての身体がそうであるように、情報的存在として人間は、 情報を摂取し、記憶し(=情報体としての自分を組み換え)、情報をアウトプット・排泄する。この中間にある内部構造とは「思考」の構造であり、知能の構造である。

8.人間を含む生物はみな、環境との間で、認識し、意思決定し、行動を起こし、その行動は環境世界に変化(差異)をもたらし、その差異がまた情報として生物にフィードバックされて、、、、、と循環していく。生命活動はだから、一種の「インフォメーション・フロー」だと言える。

9.先に「我々が見ている主観的認識世界は、我々が世界と協調して作り出している」といったが、同様に、「我々が行う行為もまた、我々が世界と協調して作り出している」のだ。

10.ここまでは人間を含む生物一般の「創造」的知能の活動の全貌だが、人間に固有の事として「遅延反応」という要素に注目したい。

11.認識し、意思決定し、行動する。この間の時間の長さには長短がある。人間の「この間の時間の長さ」は他の生物に比べより長く、複雑で、抽象性の高いところまで積み上がっていく。たとえば、今日聞いたことを何年も経ってから理解して実行する、何年も前の感謝に根差して行動する、など。

12.ちなみに人工知能では、この「遅延反応」を「サブサンプション・アーキテクチャ(ロドニー・ブルックス)」として実装している。

13.この「遅延」にこそ、知能が知性になる機縁、チャンスが含まれている、そしてそれは「ビジネスの世界でいうクリエティビティ」につながっていくものなのではないだろうか。

 

第三章 線形システム、非線形システム

◎我々の意識は静的構造物ではなく動的な運動である。

1.さて今度は物と生物との違いについて、ベルクソンの仕事を紹介しながら説明しよう。彼は、カントとアインシュタインを「仮想敵」と見立て、研鑽を積んだ哲学者だった。

2.「物質は押すと動きます。ニュートンの言う作用・反作用の法則が働いています。生物はそうではありません。情報としてインプットされたものは、さまざまな内部の解釈を経て蓄積され、やがてまったく違う形でアウトプットされます。その運動が生物の内的時間を作ります。(出典:『<人工知能>と<人工知性>』知識カード63 生物の内的時間 http://society-zero.com/icard/931354

3.つまり、認識から意思決定をし、運動を生成する過程に、「線形システム」と「非線形システム」の二種類があることになる。

4.これは前回の佐々木先生の『P』のご講演であった説明、脳の中のニューロンの仕組みとも相似形。ニューロンの仕組みにも、「線形システム」と「非線形システム」の二種類がある。

5.線形システム(=生態的反射)と非線形システム(=論理的思考)を、縦軸に情報の抽象度、横軸に時間進行を置いて、知能(論理的思考)と環世界の反射とをマッピングすると次のような関係になる。

6.人工知能を創造する際も、このコンセプトを実装することを心がけている。つまり、マルチレイヤー構造

7.「知能」と時間進行に話を戻すと、人間はのろい(人間に固有の事として「遅延反応」がある)ゆえに、賢くなった、といえるだろう。つまり、「遅延」を構造として保有するがゆえに自分の内側に複雑な世界のモデルを創造し、 それを動かす(シミュレーションし予測する)ようになった。これは、環境認識能力と計画を立てる能力へとつながっていき、これで人間のみが今日の文明社会を創造したのだと言える。

8.ゲームにおける[「最も簡単なキャラクターモデルでも、一つの「縄張り」を持ち、敵プレイ ヤーが侵入すれば襲い掛かるといった、環境認識と判断を伴う行動を起こす必要があります。そして、最近ではマップ全域を自由に歩き回るだけの環境認識能力と、時間を超えて目的と計画を立てる知能を獲得しています。」出典:『<人工知能>と<人工知性>』知識カード9 環境認識能力と計画を立てる能力 http://society-zero.com/icard/718758 )

8.第二章で触れた「サブサンプション・アーキテクチャ」とは、まさにこのことと関係している。

9.またこの「時間進行」の違いは、第一章で述べた「意識上」の知能と「意識下(=無意識)」の知能との違いを説明する手掛かりにもなってくる。また短い時間領域での「知能」は長い時間領域の「知能」から影響を受ける、というメカニズムがある。
[夏目漱石の小説がどれだけ漱石の過去の知的活動から影響を受けているかをシミュレーションした面白いプロジェクトが東京大学新図書館計画で行われたことがあります。例えば、小説『三四郎』には「カントの超絶唯心論」という言葉が出てきますが。そこからカントの『Critique of pure reason(純粋理性批判)』へリンクが張られ、クリックするとその本が開く仕掛けが作られました。(出典:夏目漱石『三四郎』の文献ネットワーク=研究者を活用した本との「出会い」の創出 http://society-zero.com/chienotane/archives/4992/#6 )]

10.こういった構造はネットワーク理論の中で、「リカレント・ネットワーク」と呼ばれ、プログラム、仕組みとしても確立されており、この「構造」を理解することも、「ビジネスの世界でいうクリエティビティ」のヒントとなるだろう。
[たとえば、「人の脳内に蓄積されている情動の記憶を引き出し、ストーリーと結びつける。テレビや映画、演劇などでは、誰もが経験すること。テキストや音楽でも、過去の記憶、臨場感たっぷりの記憶を引き出すことができれば、感動を与えることができる。」 出典:『人工知能と商業デザイン』知識カード63 臨場感と記憶 http://society-zero.com/icard/153262 )]

 

第四章 物語と記憶と創造性

1.さきほど、「短い時間領域での「知能」は長い時間領域の「知能」から影響を受ける」と言った。しかしこの「影響」には相互性(=「短い」時間が「長い」時間へ影響を与える)があり、人間が生きるとは自身のストーリーを構築し、しかもそれを不断に書き換えていく過程である(=過去は書き換えられる)、ということにもつながる。このことを説明したい。

2.過去は変わらないと普通思っている。だがあにはからんや過去は作られるもの、私たちは過去を創造しているのだ。人間の知能は現在の文脈にあう過去を紡ぎ出している。つまり、「過去は作られ」るのだ。別の表現をするなら、「思いだすということ、そのものに創造性がある」。

3.生きることとはストーリーの創造である。私たちは日々、クリエイティビティを生きている。
・毎日生きるたびに過去、現在、未来が創造される。
・アクシデント=ストーリーのカタストロフ=毎日自分のストーリーの設定は揺らぐ。
・だから人は毎日、自分の人生のストーリーを補修したり、時には大きく書き換え、作り直す。
新しい時代には新しいストーリーが(必要で)ある

4.3.も、「ビジネスの世界でいうクリエティビティ」に応用できるのではないか。[いやテレビCMやマスメディアのキャッチコピーはまさにこれをやっている]

5.しかし他方、逆に過去が現在を侵食(invade)するという現象もある。最悪のストーリー も、最高のストーリーも、知能が過去から創造している。逆に一度作ったストーリーに合わせて現在を解釈しようとする。かつてデリダは、「純粋な現在は失われ、過去や未来からの介入によって現在の純粋性が失われる」と述べた。

6.デリダは次のようなことを言っている。すなわち、自己が自己について語ろうとする時、そこには遅延が生まれる。なぜなら自分自身を語る自分と、その語りを聴く自分とがあり、そこには「ずれ」あるいは「遅延」が存在するからだ。自己はこの差延の作用によってどんどん自分自身からさえ脱却して行く。であるからこそ、対象化されるのだ、と。

◎過去は作られる。
・思い出すことは多重な記憶を積分(重ね合わせ)すること
・それはとても創造的な行為
・小説を書く、絵を描く、曲を作る=巨大な思い出しの過程
・思い出し方 = 創造性の方法論

 

第五章 生きてる世界の創造

◎生物の中で人間のみが、人間と世界との新しい結びつきを作ることができる。

1.第一章がソシュール、第二章プリゴジン、第三章はベルクソン、第四章デリダと、哲学者、科学思想家を紹介しながら「クリエイティブな人のための哲学」を語ってきたが、最後はユクスキュルである。
[「生物は身体を持ち、身体を通して環境を認識しています。これは重要な知見です。
(略)生物はそれぞれ固有の身体とそのあり方で環境に属しており、 その身体とあり方(生態)に従い、環境にある各対象と固有の関係を結んでいます。ユクスキュルは生物が内面から世界をどのようと捉えているかを探求し、生物が形成する固有世界を「環世界」と名づけました。」出典:『<人工知能>と<人工知性>』知識カード12 身体性と生物の主観的世界 http://society-zero.com/icard/985277 )]

2.生物の持つ目は、生物の知能と身体と深く結びついている能動的な眼であり、カメラは使用者の意思に従う受動的な眼である。

3.まずカメラ。カメラが何かを「視る」時にはカメラという主体と、カメラが捉える客体の間にはなんの関係もない。カメラは見るているようで実は世界を見てはいないのだ。

4.ところが生物の「見る」はこれとは違う。たとえばカメレオン。カメレオンの眼は、アメンボを自分の栄養源として「見る」。つまり「食べたい」という身体に根ざした「欲求」のもとに世界を見ている。そして次の瞬間、そのアメンボを捕獲する。

5.そこでは知覚と作用が身体(の生存・生態系と連関した欲求・意志)を媒介につながっている。

6.[つまり眼は生物にとって基本的な器官で、生物の知能と身体と深く結びついている「能動的」で「主観的」な眼なのです。一方、カメラは使用者の意思に従う「受動的」で「客観的」な目です。](出典:『<人工知能>と<人工知性>』知識カード22 生物が視るもの http://society-zero.com/icard/130888 )]

7.カメレオンがアメンボを見、捕食し、自身の生存を維持する一連の関係性を、ユクスキュルは「機能環」のひとつ、「捕食環」と名づけた。同じようなことが生殖に関してもあるだろう。それは生殖環だ。敵を探し逃れるのは「索敵環」(「機能環」はさまざまな「環」の総称)。こうやって、身体と環境との間には、その生物固有の身体性と生態系とから編み出される「環世界」があるのだ。それは「かたつむりの殻」のように、生物それぞれが持ちつつ、それが世界でありそれ以外の世界へ逸脱できない世界、でもある。

8.[「身体はつねに自己を確認することを通して、世界と自分との関わりを認識しているのです。
これは身体の形状と感覚に応じて、環境との関係を認識していると言い換えることができます。
たとえば、蜂であれば針があり、動物であれば牙がある。蜂である限り、その針を使うべき時と場所を見つける必要があり、牙でも同様です。」(出典:『<人工知能>と<人工知性>』知識カード16 身体の固有性と作用指標 http://society-zero.com/icard/575657 )]

9.ちなみにゲームキャラクターの人工知能を作る作業を現場では、「機能環」を「エージェント・アーキテクチャ」という仕組みで実装しようとしている。(『<人工知能>と<人工知性>』知識カード55 機能環とエージェント・アーキテクチャ    http://society-zero.com/icard/581093

10.つまり、それぞれの生物は自分の環世界を世界から切り取って(=世界を分節して)暮らしている。
・環世界はそれぞれの生物にとって完全(完備)な世界。つまりそれが本当に完全でなくても、その生物には完全と感じられる。
・本当はその外の世界とつながっているが、環世界のソトのことを、生物は認識することはない。

12.「外の世界とつながっているが、環世界のソトのことを、生物は認識することはない」。そうだとすると個々の種はその種固有の環世界を持っているわけなので、世界の見え方も、種によって異なることになる。

13.そして世界の見え方が異なる基底にそれぞれの種固有の「時間」の存在がある。環世界の「認知(第一章)」に要する時間が種により異なるのだ。
カタツムリの環世界を研究する実験で、カタツムリの目の前に棒を見せ、その棒をある一定の間隔で出し入れし、その出し入れの時間間隔を変えてみた。すると、一秒間に1~3回の出し入れの頻度では、カタツムリは棒を渡ろうとしない。だが4回以上だと(棒が見えて)棒を渡ろうとする。つまりこの実験で、カタツムリの環世界の更新頻度は4回/秒以下なのがわかる(人間は18回/秒程度)。

14.このように、
・生物はそれぞれ生態に応じた環世界を持っている。
・たいていの生物は生涯、自分の環世界を出ることができない。
・その中で喜んだり、かなしんだりして、生きていく。
だが、人間のみが、
人間と世界との新しい結びつきを作ることができる。

たとえば、天文学者の持つ環世界、プログラマが持つ環世界、 画家が持つ環世界、はそれぞれ違う。

15.「ビジネスの世界でいうクリエティビティ」に関する示唆はここにもあるようだ。すなわち、新しい観察、新しい行動で新しい環世界を作り出せ!

最後に:
我々は「自分」と「現実」と「デジタル世界」を再構成する時期に来ているのです。哲学とは古い書物の上に思考を限定することだけではなく、変わり続ける世界の中で、確かに、正しく、そしてより広く生きる可能性を見つけ出すことです。(■開催にあたって(「クリエイティブな人のための哲学塾」) http://society-zero.com/chienotane/archives/5327 )」

 

■関連URL

<人工知能>と<人工知性>— 環境、身体、知能の関係から解き明かすAI— 三宅雄一郎
http://society-zero.com/icardbook/006/index.html

アイカードブック(iCardbook)| 詩想舎 http://society-zero.com/demo/index.html

人工知能と人工知性

人工知能と人工知性