◎資本主義はなぜ民主主義を捨てるのか――権威主義への静かな変異◎
2025年の米国において進行した変化は、国家制度そのものを作り替える「革命」というよりも、民主主義の運用原理が内側から書き換えられていく過程であった。制度は存在し続け、手続きも形式上は守られている。だが、それらが果たす機能は、静かに、しかし確実に変質していった。
最大の特徴は、「正統性」の意味が再定義されたことである。トランプ大統領は就任後も一貫して、2020年および2024年の選挙過程に対する不信を公然と語り続け、「正しい結果」と「制度が出した結果」とを意図的に分離した。この言説は、敗者が結果を受け入れるという民主主義の暗黙の前提を掘り崩し、選挙を「権力闘争の一局面」へと引き下げた。
この再定義は、情報空間の統治と結びついて強化された。2025年、政権中枢や大統領本人は、既存メディアを「国民の敵」「虚偽の仲介者」と呼び、事実確認よりも忠誠と感情動員を重視するコミュニケーションを前面に押し出した。SNSや支持者向け集会を通じて形成される「もう一つの現実」は、制度が発する公式情報と並存し、しばしばそれを上書きした。
ここで起きているのは、検閲や報道統制ではない。むしろ逆に、情報が過剰に氾濫することで、共通の現実認識が破壊されるという現象である。民主主義は、意見の対立を前提としつつも、事実についての最低限の合意を必要とする。その土台が崩れると、選挙・議会・司法といった制度は、もはや「説得の場」ではなくなる。
さらに2025年には、政治的対立の道徳化が一段と進んだ。政権支持者と批判者の違いは、政策選好ではなく、「愛国者か裏切り者か」という二項対立で語られるようになった。これは反対派を違法化するものではないが、正当な競争相手として認めないという点で、レビツキーとジブラットが示した民主主義劣化の兆候と一致する。
注目すべきは、これらがすべて「合法」であり、「日常的」であったことだ。非常事態宣言や選挙停止は行われていない。議会も裁判所も存在し、形式的なチェックは保たれている。にもかかわらず、民主主義が本来依拠してきた相互的寛容、自制、敗者の受容といった非公式ルールは、急速に弱体化した。
2025年の米国は、民主主義が崩壊した国家ではない。しかしそれは、民主主義が安全に作動している国家でもなかった。制度を壊すのではなく、制度の意味をずらす。ルールを破るのではなく、ルールの前提を無効化する。この「ハッキング」こそが、2025年に顕在化した悪夢の正体である。
・議事堂襲撃で危機に瀕した米国の民主主義

(米国の民主主義を救うために何が必要か)
■目次構成
はじめに_資本主義はなぜ民主主義を捨てるのか
第1回 双子の離別:資本主義が自由を捨てるとき
第2回 星条旗の亀裂:トランプが仕掛ける政治革命
第3回 自由の衰退:フリーダムハウスが鳴らす警鐘
第4回 資本主義の脆弱性(=権威主義への転換しやすさ)」の正体
第5回 民主主義の死に方:合法的に殺されるシステム
第6回 2025年の悪夢:民主主義のハッキング
第7回 ベネズエラの激震:2026年1月、侵攻の真実
おわりに_資本主義はなぜ民主主義を捨てるのか








