◎資本主義はなぜ民主主義を捨てるのか――権威主義への静かな変異◎
近代社会において、資本主義とリベラルな民主主義は不可分な「双子の制度」であると長らく信じられてきた。市場における経済的自由が個人の政治的自由を担保し、互いを補完し合うという楽観的な歴史観である。しかし、21世紀の現在、我々が目撃しているのはこの両者の劇的な「離婚」である。資本主義はその自己増殖の論理を貫徹するために、もはや民主主義というコストのかかる手続きを桎梏と感じているかのようだ。
2001年にようやくWTO(世界貿易機関)への加盟を果たした中国はその後、急速に発展、米国につぐGDP第二位の大国となった。当初人々は経済の成長とともに中国も自由主義陣営へ参入すると踏んでいた。しかし中国は、リベラルな資本主義とは別に権威主義的資本主義がありうることを証明し、今日に至っている。
権威主義的資本主義とリベラルな資本主義を区別する指標としては、以下の5点があげられるだろうか。
イ.政治的決定の独占
リベラルな体制では権力分立と多党制が前提となるが、権威主義的体制では政治権力が一極に集中し、市場のルールもまたその権力に直結する
ロ.法の支配の恣意性
「法の支配」が本来、権威・権力者に対する掣肘を意味するのに対し、権威主義のもとでこの概念はむしろ、権力の道具(「法による支配(Rule by Law)」)として活用される
ハ.市民社会の抑圧
言論の自由や結社の自由が、市場の効率性や国家の安定という名目の下に制限される
ニ.国有・縁故企業の支配
国家が戦略的セクターを直接支配し、あるいは権力に近い特権的資本家層が市場を歪曲させる
ホ.正当性の根拠
リベラルな体制が民主的手続きを正当性の源泉とするのに対し、権威主義的資本主義は「経済成長」という成果のみを統治の免罪符とする
資本主義はイノベーションが駆動する。しかしそれは過去の価値を流動化させ既存の規範を破壊する。そのため人々に不安をもたらす。この不安の帰結として、人々は議論による合意形成という「まどろっこしい」民主主義よりも、圧倒的なスピードで決定を下す「権威」を渇望し始める。この脆弱性こそに、資本主義が自由主義を脱ぎ捨て、強権的なフェーズへと変異する根っこがある。2026年のいま我々は、経済的繁栄の代償として自由を差し出すという、メフィストフェレス的な契約の入り口に立っているようにみえる。
・世界の自由主義は大きく後退した

(【民主主義の形】第1部 試される価値(1)民主主義を衰退から守りぬく闘い)
■目次構成
はじめに_資本主義はなぜ民主主義を捨てるのか
第1回 双子の離別:資本主義が自由を捨てるとき
第2回 星条旗の亀裂:トランプが仕掛ける政治革命
第3回 自由の衰退:フリーダムハウスが鳴らす警鐘
第4回 資本主義の脆弱性(=権威主義への転換しやすさ)」の正体
第5回 民主主義の死に方:合法的に殺されるシステム
第6回 2025年の悪夢:民主主義のハッキング
第7回 ベネズエラの激震:2026年1月、侵攻の真実
おわりに_資本主義はなぜ民主主義を捨てるのか






