第7回 ベネズエラの激震:2026年1月、侵攻の真実

◎資本主義はなぜ民主主義を捨てるのか――権威主義への静かな変異◎

2026年1月早々、世界は「例外状態」の常態化を象徴する凄惨な光景を目撃することとなった。米軍特殊部隊によるベネズエラへの電撃的な軍事介入と、ニコラス・マドゥロ大統領の拘束である。この事象は、レビツキーとジブラットが『民主主義の死に方』で示した「独裁への4ステップ」を、一国の内政問題から国際政治の力学へと拡張し、民主主義の名の下に民主主義を破壊する逆説を体現している。

第一のステップ「ルールの拒絶」において、介入側はベネズエラの主権という国際法の根幹を、人道危機を理由に事実上無効化した。第二の「対立相手の正当性の否定」は、マドゥロ政権を「正当な統治者ではなく麻薬テロリスト」と断定することで完遂された。かつてトランプ大統領が2024年の選挙演説で「南の国境の脅威を根絶するためには、あらゆる選択肢がテーブルの上にある」(2024年10月、テキサス州での演説)と述べた予言が、今、武力という第三のステップ「暴力の容認」として現実化している。

特筆すべきは、直近の2026年1月5日付の『ニューヨーク・タイムズ』電子版による「米政府高官の匿名証言」である。記事によれば、政府高官は「民主主義の防衛には、時として国連決議等のまどろっこしい手続きをバイパスする決断が必要だ」と語ったという。これは、レビツキーらが警告した「審判の抱き込み」を国際社会に適用し、法の支配を恣意的な「決断」へと置き換える行為である。

大澤真幸氏が『西洋近代の罪』(2025年4月)において、資本主義が市場を維持するために「民主主義というコスト」を嫌い、権威主義的な迅速さを選好すると分析した通り、この軍事介入の背景には、ベネズエラの資源を「安定した権威」の管理下に置きたいという資本の渇望が透けて見える。4ステップ目の「自由の剥奪」は、現在進行中の占領下における言論封殺として現れている。我々は今、自由を守るという名目が、権威主義的資本主義が牙を剥くための「虚構」へと堕した瞬間を目撃しているのである。

 

■目次構成

はじめに_資本主義はなぜ民主主義を捨てるのか
第1回 双子の離別:資本主義が自由を捨てるとき
第2回 星条旗の亀裂:トランプが仕掛ける政治革命
第3回 自由の衰退:フリーダムハウスが鳴らす警鐘
第4回 資本主義の脆弱性(=権威主義への転換しやすさ)」の正体
第5回 民主主義の死に方:合法的に殺されるシステム
第6回 2025年の悪夢:民主主義のハッキング
第7回 ベネズエラの激震:2026年1月、侵攻の真実
おわりに_資本主義はなぜ民主主義を捨てるのか