Ⅳ. 【学ぶ】── 福沢諭吉の『学問のすゝめ』から「デジタル教科書」へ

 

シリーズ:電子出版半世紀を日本語書物史千年との交錯点で読み解く

Ⅰ. 【記録する/保存する】── 写本から符号へ、和紙からパルプそしてサーバーへ
Ⅱ. 【調べる/扱いやすさ】── 類聚(分類)の情熱と「EPWING」から「URL」へ
Ⅲ. 【伝える/楽しむ】── 貸本屋から「サブスクリプション」、絵巻物から「Webtoon」へ
Ⅳ. 【学ぶ】── 福沢諭吉の『学問のすゝめ』から「デジタル教科書」へ

 

『学問のすゝめ』の大混乱

書物は個人のエンターテインメントである以上に、国家や社会が共有すべき「正しく質の高い知識」を体系化し、次の世代へと確実に引き継ぐための主軸――すなわち「教育」の装置であった。この、知の「量と質」をどうコントロールし、万人の「学び」へと最適化するかという命題において、日本の教育書物史は激しい過渡期のドラマを幾度も経験してきた。

その最大の転換点となったのが、明治初期に福沢諭吉が著した『学問のすゝめ』である。西洋の科学や民主主義、市民社会の思想という、当時の日本にとって膨大かつ未知なる知の「量と質」を提示した同書は、実質的に近代日本最初の「国民的教科書(「国民的啓蒙書」「庶民の教科書」の表現もある)」となった。
・学問のすゝめ

「学問のすゝめ」のススメ

この時、出版の現場を襲ったのは、技術の激しい過渡期にともなう大混乱であった。当初、『学問のすゝめ』は明治の文明開化を象徴する最新の「活版印刷(鉛活字・両面印刷)」によって世に出された。しかし、文字通り国中がこの新たな知を求めたため、需要が活版の生産スピードを遥かに超えてしまう。そこで急遽、江戸時代ながらの「木版(和綴じ)」によって増刷や海賊版(偽版)が作られるという、新旧の技術が逆流し入り乱れるダイナミックな狂騒が巻き起こった。知のインフラが急激に拡張されるとき、そこには必ず、現場の凄まじい試行錯誤と混乱が伴うのであろう。

この『学問のすゝめ』を巡る熱狂と混沌から約百数十年、ここ半世紀の日本語デジタル化の歩み、とりわけ2010年代以降の教育のデジタル化(デジタル教科書)を巡る戦いは、明治のあの景色と驚くほど見事に呼応している。

 

「URL」と「アンカータグ」

2012年、国際標準フォーマットである「EPUB3」に、日本電子出版協会(JEPA)や国内の関係者たちの多大な尽力によって「縦書き・ルビ・右開き」という日本語特有の美表現の仕様が正式に組み込まれた。国際標準(西洋の横書き文化)という黒船に対して、日本の伝統的な文字文化のインフラを世界規格のコードとして融合させた、電子出版史における最大のブレイクスルーの一つである。
・EPUB

EPUB - Wikipedia

しかし、このEPUB3という強固な知の標準インフラが確立された一方で、学校教育の現場への「デジタル教科書」の導入初期には、かつての木版への逆戻りのような過渡期の壁が存在した。単に紙の教科書をスキャンし、タブレット画面にPDFとして表示させるだけの「紙の代替(模倣)」に終始していた段階である。それでは、形が変わっただけで、教育の「質」そのものを変革することには繋がらない。

真の交錯点は、その先にある現在のGIGAスクール構想や、読書バリアフリー法(アクセシビリティ対応)の法制化にともなう進化によってもたらされた。

90年代に生まれた「URL」と「アンカータグ」の思想が、2020年代以降のリフレッシュ可能点字ディスプレイや音声読み上げ、インタラクティブな動画・図解教材と完全に結びついたのである。紙の教科書という「固定された境界線」から知識が解放された。文字が読めない、あるいは見えないという障害を持つ子供たちにも等しく高クオリティな情報が音声や点字でピンポイント(アンカー)に届き、生徒一人ひとりの理解度や学習進捗に合わせて中身が動的に最適化される「個別最適な学び」のメディアへと教科書は進化した。

福沢諭吉が『学問のすゝめ』において目指したのは、一部の特権階級の学問を解体し、「万人のために知を平易に開き、普及させること」であった。デジタル教科書が、すべての子供たちの個別の特性に寄り添い、知の壁を取り払っていく現在の姿は、福沢が描いた教育の理想郷が、通信と符号の技術によって限界まで拡張され、最終形態として結実した姿に他ならない。私たちは今、紙をただデジタルに置き換える過渡期を終え、数千年の「学ぶ行為」そのものをアップデートする、最も刺激的な教育のイノベーションを目撃している。