■アフター・グーテンベルク 「本の民」の時代
安価で完全なコピーを作れることから、印刷された文書は変化の動力源にも安定性の基盤にもなった。(『<インターネットの次>に来るもの』 第4章 Screening)
マシン(金属活字+印刷機械)は、口伝や手書きによる情報伝達と異なり、正確に情報を保持できる点に加え、迅速な大量頒布を可能にする点で、経済社会の仕組みを変える可能性を秘めていた。話し言葉の民から本の民へ、時代が転換する可能性。
そしてそれは可能性だけでなく、実際、ビフォア・グーテンベルクとアフター・グーテンベルクと呼びならわしても良いほどの変革をもたらした。「本の民」の時代のエートスをケヴィン・ケリーは次のように整理している。
・線形的な論理への評価の高まり
・客観性への情熱
・権威への忠誠
・正確性への崇敬
そしてここからジャーナリズムが生まれ社会変革の苗床が準備された。ここから科学が、法律が、社会基盤としてより重要なものになっていった。そしてここから図書館が一般大衆の知的装置として発達し、アフター・グーテンベルクへの道のりをより確かなものにしていった。
知は広く深く社会の周辺にまで浸透し、王や教皇を退位させるような事態を産んだ。客観性とそれを背景にした権威への忠誠が、専門性に根ざした文化をはぐくんだ。何物も言葉としてページに刻まれねば有効ではない、という態度が当たり前になり、法律文書が契約書が社会を安定させる必須のツールとなった。
そして1450年グーテンベルクが活版印刷を始めてから約400年後、「本の民」の時代が最盛期を迎えていた時期に国造りが行われたアメリカは、アフター・グーテンベルクの特徴が色濃い国家となった。
1910年には米国の2500人以上が住む町の4分の3には、公共図書館があった。アメリカの根幹には、合衆国憲法が、独立宣言、そして間接的には聖書という文書の源流があった。国の成功は高い読み書き能力にあり、たくましく自由な出版文化、(本に依る)法律や規則への忠誠、大陸中に行き渡った共通の言語にかかっていた。アメリカの繁栄や自由は、読み書き文化によって花開いた。(『<インターネットの次>に来るもの』 第4章 Screening)
新しいテクノロジーがひとつの文化と時代を終わらせ、次の新しい文化と時代を切り開くことに寄与した。それがグーテンベルクの印刷革命だったと言えるのだろう。
(われわれはかつて)話し言葉の民だった。(それが)約500年前に、口伝文化はテクノロジーによって追いやられた。
(中略)
われわれは本の民になったのだ。(括弧内筆者挿入)(『<インターネットの次>に来るもの』 第4章 Screening)
500年前、マシン(金属活字+印刷機械)が時代のエートスを変えたように、いま、コンピュータマシン(が作るインターネット+AI)が時代のエートスを変えようとしている。
(このシリーズは『<インターネットの次>に来るもの(翻訳:服部 桂)』の中でケヴィン・ケリーが「本・読書・出版」について語っている部分をハイライトしている)
その1:取次の危機
http://society-zero.com/chienotane/archives/7769
その2:クローズとオープンのバランス
http://society-zero.com/chienotane/archives/7781
その3:本は固定化されていたからこそ流動化のための工夫を発達させた、先駆的存在
http://society-zero.com/chienotane/archives/7795
その4:アフター・グーテンベルク 「本の民」の時代
http://society-zero.com/chienotane/archives/7828
その5:そして「スクリーンの民」の時代へ
http://society-zero.com/chienotane/archives/7831
その6:アフター・インターネット 「本」はどうなるのだろう
http://society-zero.com/chienotane/archives/7851