ケヴィン・ケリーが語る「本と読書と出版」 その1

■取次の危機

JEPA(日本電子出版協会)のビジネス委員会が6月20日「茶話会」を開催する。この先10年の出版を語りあう「茶話会」のテーマは「読み放題モデルってどうなのよ」、であった。これを受けて4回に分け、議論の準備も兼ね手元メモを書き留めたが、その中で何回か、ケヴィン・ケリーの『<インターネットの次>に来るもの(翻訳:服部 桂)』を参照した。

そこで次に、『<インターネットの次>に来るもの(翻訳:服部 桂)』の中でケヴィン・ケリーが「本・読書・出版」について語っている部分をハイライトしてみることにした。


もっと重要なことは、われわれが新しいものを古いものの枠組みで捉えようとしがちだということだ。

(その結果(筆者挿入)(中略))その先が明らかに不可能なものに見えたり、あり得ない、あるいはあまりにもばからしいと思えたりすると、それを無視してしまう。(『<インターネットの次>に来るもの』 第1章 Becoming)


1.出版のデジタル化にどう向き合うかが重要

我々はいまだに、既刊本のデジタル化が「電子書籍」だと思い込んでいないか。つまり、「新しいもの(電子書籍))を古いものの枠組みで捉え、「出版」からの解放、私たちが「出版」の単語から連想する従来発想の固定概念からの脱出について、それをなしえておらず、出版のデジタル化への対応が場違いなものになっていやしまいか。

場違いなままで変化に対応できないでいると「出版」と「本」と「読書」がメルトダウンしてしまう。

その象徴が「取次の危機」なのでは。

『新文化』2018年4月26日号によれば、全国トーハン会代表者総会において、トーハンの藤井武彦社長が、雑誌コミックスが急減し、「出版業界は未曽有の事態が起こりつつある」と述べたとのこと。

トーハンと肩を並べる日版においても取次事業が5億円を超える赤字に転落したことを発表し、「取次業は崩壊の危機にある」とした。(『文化通信』(2018年5月21日)。とりわけ書籍は30年来の赤字が続いているとし、仕入れ条件が70%を超える出版者の存在がある限り黒字化できないとも言っている。すでに『文化通信』2018年3月19日号において、次のようなことを指摘、また提言していた。

「取次にとって書籍はずっと赤字で、雑誌で稼いだ利益で
書籍への投資と赤字を補填してきたのが、取次の構造である。
しかし雑誌の売上が減少する中で、遠くない将来、
取次業が続けられないという危機感がある。」

 出版社の取り分(正味)の削減と輸送費の負担分担を提案
→書籍の黒字化で雑誌の赤字を埋める、大転換が必須かつ急務。

「会社全体としては不動産収入でようやく黒字を出しているだけで、
経営的にはまったなし」
「取次の現状は経営努力の範囲を超えた環境変化を受けていて、
もし必要性がないのであれば、市場からの撤退も覚悟している

2.「棚の力」とテクノロジーの変化

本の売り上げは「潜在読者の掘り起こし」と「本と読者のマッチング」に依存している。それをかつては書店の「棚」が担っていた。二大取次の悲鳴に象徴される、「取次/書店」モデルの機能不全はふたつの事由から生じている。

A:取次の金融機能を背景に、棚自身が「棚の力」を失った。
B:ケヴィン・ケリーが指摘するテクノロジーの変化、とりわけ、「reading」から「screening」へのシフトへの対応を怠った。

出版社は新刊を刊行し取次に納品すれば、まずはその対価(初版部数 × 本体価格 × 正味率)がキャッシュとして直ちに入金される。ただし、約半年後、書店からの返品があると、それに見合った金額を出版社は取次に支払わなければならない。すると売れ行きの思わしくない作品を抱える出版社は資金繰りに窮し、さらに新刊を刊行すること(による取次からのとりあえずの入金)で急場をしのごうとする。こうして新刊点数は出版不況の中どんどん増えていった。

一方、90年代以降、売り場面積はほぼ横ばいの推移をしている。

つまり売り場面積一定推移、刊行物を展示する空間は変わらないのに、新刊点数だけが右肩上がりで伸びている。結果、店頭の隅に追いやられる作品の割合がどんどん増え、同時に新刊点数の増加で書店では手間ばかりが増える。極端な場合、取次からの段ボール箱が開封されないまま取次へ返却される事態さえ。勢い、話題の本を優先的に展示するランキング主義にはしる店頭づくりとならざるを得なかった。

これでは「潜在読者の掘り起こし」と「本と読者のマッチング」を担う「棚の力」は落ちるばかりだ。

そしてもうひとつ。喧伝されてきた「文字離れ」の新聞雑誌のキャッチとは裏腹に、人々が膨大な文字を読む環境が到来してきている。ただしその文字は紙に印字されたものではなく、画面に流れるものだった(「reading」から「screening」へのシフト)。テクノロジーによる、「読書」そのものの大変化が起きていたのだ。

しかもその画面では、文字だけでなく、映像や音楽やゲームが展開する。時間争奪戦の中に読書が巻きこまれていたのに、「出版/取次」側の売上凋落への対抗策はどこまでも「新しいものを古いものの枠組みで捉え」た施策にほぼ終始していた。

出版業界人が『<インターネットの次>に来るもの(翻訳:服部 桂)』を読むべき理由がここにある。テクノロジーの変化を正しく認識し、対応策を講じなければならない。

ケヴィン・ケリーは経済社会に地殻変動を起こしているテクノロジーの動向を12の章に分け、解説している。その全12章のうち、「本と読書と出版」に関する知見が盛り込まれているのは、次の各章である。

第1章 Becoming
第2章 Cognifying
第3章 Flowing
第4章 Screening
第5章 Accessing
第6章 Sharing
第7章 Filtering
第8章 Remixing


棚の力 その1
http://100words-essay.blogspot.com/2012/02/blog-post_03.html

かつて書店の本棚は、
「知の見取り図」「知の扉」だつた。

だから書店への立ち寄りには、
「知の冒険」「知の探索」のワクワク感があった。

棚の力がそれを支えていた。

棚の力 その2
http://100words-essay.blogspot.com/2012/02/blog-post_04.html?view=flipcard

書店の、
棚の力が衰えようとしている。

棚が、
ブログであるよりツイッターであろうとしているからだ。

アーカイブより、
タイムラインであろうとするようになったからだ。


その1:取次の危機
http://society-zero.com/chienotane/archives/7769

その2:クローズとオープンのバランス
http://society-zero.com/chienotane/archives/7781

その3:本は固定化されていたからこそ流動化のための工夫を発達させた、先駆的存在
http://society-zero.com/chienotane/archives/7795

その4:アフター・グーテンベルク 「本の民」の時代
http://society-zero.com/chienotane/archives/7828

その5:そして「スクリーンの民」の時代へ
http://society-zero.com/chienotane/archives/7831

その6:アフター・インターネット 「本」はどうなるのだろう
http://society-zero.com/chienotane/archives/7851