日米大学生の、学習・読書の量と質の差

日本の大学生があまり本を読まない、と憂慮する声が高まっている。そもそも日本人の20歳の知的好奇心が、スウェーデンの65歳とほぼ同じだという統計もある。

ただ読書時間数もさることながら、何を読んでいるかも重要だ。

 

日本のデータ:大学生はコミックや教科書以外の本を読まない

2016年年発表の生協のデータ(第51回学生生活実態調査の概要報告)にはないが、昨年のデータ(第50回)では、読んでいる学生の定義する「読書」には、コミックを含めるものもいて、「教科書+その他の書籍」では40分強(一日当たり読書時間)、授業を離れた読書を「読書」に定義している学生の「読書時間」は、一日平均20分強だったと報告している。

一日の読書時間_生協調査_大学生2014

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米国のデータ:大学生は膨大な課題図書を読む

これに相当する米国のデータはなかなか見つからないが、識者からは数年前より、読書時間、学習時間の質と量で日米の大学生に圧倒的な違いがあることが指摘されている。たとえばこちらは2013年の記事。この文章は「なぜ、日本企業や日本人は、グローバルな舞台で苦戦を強いられるのか。なぜ、日本からアップルやGoogle、Facebookのような世界を席巻するベンチャーが生まれないのか」といった文脈の中で語られたもの。

波頭 最近見た、最もショッキングな数字は、大学卒業までに読むテキストの量の日米比較で、米国の大学生は4年間で400冊読むのに対して、日本の大学生はわずか40冊しか読んでいないということらしいです。本を読んで理解するというのは、スポーツでいえば筋力トレーニング。その基礎的なトレーニングが、日本人は圧倒的に少ない。

伊藤 おっしゃるように、コンピュータ・サイエンスの筋トレがしっかりできていれば、そこにバイオロジーの知識や研究成果を乗せることができますが、筋トレをやっていないと、乗せたくても乗せることはできませんね。

波頭 基礎学習、さらにいえば努力の総量が、日本人には足りないように感じます。日本でエリートだった人間も、米国に留学すると、あまりの学習量の違いに皆ショックを受けるようです。米国に限らず世界のトップランナーたちはそれくらい勉強している。ちょっと日本人はラクしすぎていると言わざるをえない。
(●結局、日本人は努力の総量が足りない http://toyokeizai.net/articles/-/17073?page=2

波頭 亮氏は東京大学経済学部経済学科卒業後、1982年にマッキンゼー・アンド・カンパニー入社。1988年コンサルティング会社XEEDを設立したコンサルタント。また伊藤穰一氏はMITメディアラボの所長だ。

似た記事だが次は2014年のもの。スタンフォード大では「ヘトヘトになる」読書量だった、と、東洋経済オンライン編集長の佐々木紀彦氏は話す。スタンフォード大学へ留学した経験がある佐々木氏は、著書『米国製エリートは本当にすごいのか?』で「日米の学生の差を生んでいるのは、インプット量、読書量の差なの」だと指摘している。

「人と知力で差をつけるカギとなるのはインプット量」「ある程度、知識を整理する力とアウトプット能力があれば、『読書量』と『経験量』こそが、知力の大部分を決定づける」と、読書の大切さを説いている。

スタンフォード大学は3学期制で、各学期は10週間ずつのカリキュラムだという。学生は各期に4クラスを受講するのが一般的で、授業数は年間で480回に上る。学生が1回の授業あたりに200ページほど読むとすると、1年あたり480冊分の本を読破することになる。課題図書は難解で、流し読みでは理解できる内容ではないそうだ。
(●大学生「読書時間ゼロ」初の4割超え 本を買わず、電車内でスマホいじるばかり : http://www.j-cast.com/2014/03/02197896.html?p=2)

 

課題図書:米国の大学生は古典を読んでいる 日本の大学生は?

日本の全国大学生活協同組合連合会(全国大学生協連)が発表する「学生生活実態調査の概要報告」のようなものは、米国に見つけられないものの、「課題図書」の一覧表の発表が最近あった。

コロンビア大学の教授らによる「オープン・シラバス・プロジェクト(http://opensyllabusproject.org/  )」が、過去15年分、100万件以上もの大学カリキュラムを調査して得た「課題図書」のランキングだ。

米国大学_課題図書ランキング

まず全米の大学を対象にした「よく使われる課題図書」の20位までを示すと以下の通り。(ただし下記ランキングはあくまで、2016年3月11日時点。参加大学が刻々と新しいデータを入力することで、データは更新されていく仕組み。「オープン」が成せる技。)

この中からさらに、いわゆるアイビーリーグの上位10位までと全米ベースとを比較したのが下記になる。

(What They’re Reading in Ivy League Schools | Intellectual Takeout http://www.intellectualtakeout.org/blog/what-they%E2%80%99re-reading-ivy-league-schools )

アイビーリーグのトップ10は邦訳が手に入る古典的なものが多い(9位の『バーミンガム刑務所からの手紙』は未訳)。

米国アイビーリーグ大学10校の課題図書ランキング
1位  『国家』プラトン著
2位  『文明の衝突』サミュエル・P・ハンチントン著
3位  『英語文章ルールブック』ウィリアム・ストランク・Jr.ほか著
4位  『リヴァイアサン』トマス・ホッブズ著
5位  『君主論』ニッコロ・マキアヴェリ著
6位  『アメリカの民主政治』DE・アレクシス・トクヴィル著
7位  『正義論』ジョン・ロールズ著
8位  『バーミンガム刑務所からの手紙』マーティン・ルーサー・キング・Jr.著(未訳)
9位  『自由論』ジョン・スチュアート・ミル著
10位  『つきあい方の科学』ロバート・アクセルロッド著

逆にシラバスを踏査してそこで指示されている「指定参考図書」についてまとまった調査をした日本サイドの例は見あたらない。下記URLは東大、京大のシラバス掲載図書の検索サイト、あるいは一覧リスト。東大で社会学系が欠落しているうらみがあるが、ざっと見た感じで、米国アイビーリーグ大学10校の課題図書ランキングに登場するような、

『国家』プラトン著
『リヴァイアサン』トマス・ホッブズ著
『君主論』ニッコロ・マキアヴェリ著
『アメリカの民主政治』DE・アレクシス・トクヴィル著
『正義論』ジョン・ロールズ著
 『自由論』ジョン・スチュアート・ミル著


といった古典が、(「講読」で取り上げられてはいるに違いないが)日本の大学の講義を横断して累計で上位にあがってくるような様子はない、といっていいのではないか。

シラバス/教員推薦/学生選書|ブック|東京大学医学図書館 http://www.lib.m.u-tokyo.ac.jp/book/list.html
2015シラバスブックリスト・学部・専門科目 | 東京大学 経済学図書館・経済学部資料室 http://www.lib.e.u-tokyo.ac.jp/?page_id=6368#top
シラバス掲載図書 | 東京大学薬学図書館 http://www.lib.f.u-tokyo.ac.jp/zosho/syllabus/
農学部の先生から学生へのおすすめブックリスト - 東京大学農学生命科学図書館 http://www.lib.a.u-tokyo.ac.jp/lib/booklist.html
シラバス指定図書リスト - 京都大学KULINE http://bit.ly/1UnAfGn

この直観は、佐和隆光滋賀大学総長も認めているところ。

私と同世代の経済学部生なら、アダム・スミス、マルクス、ケインズなど経済学の古典を、最初から最後まで読み通せなくても、何とか読解しようと悪戦苦闘した経験の持ち主が多いはずだ。

人社系学部の強みは、読書量の一語に尽きる。今の学生は古典を読まなくなった。ガルブレイス、フリードマン、スティグリッツの著作、ピケティの『21世紀の資本』なども新しい古典だ。古典をきちんと読めば、思考力・判断力・表現力で理系出身者を凌ぐことができる。

(これに比べ、欧米の大学では古典を、歴史を勉強している) 欧州の国々では人社系の存在感が極めて高い。例えば、英オックスフォード大学や英ケンブリッジ大学で最難関の学科の一つは歴史学科だ。18〜22歳の4年間、歴史学を徹底的に学ぶ。卒業後、外交官をはじめとする官僚となり、法律や経済学を仕事の中で学ぶ。大学では大学でしか学べないこと、歴史、哲学、社会思想史などを学んで、仕事に関わる知識はオン・ザ・ジョブ・トレーニングというのが、欧州の官僚養成法なのだ。
(大学関連:激突対談 下村博文 vs 佐和隆光 どうなる? 人文系学部 http://mainichi.jp/articles/20151009/org/00m/100/023000c

 

教育とラーニングの違い

これに対し、現状の「日本の大学生があまり本を読まない」惨状は、学生の責任ではなく、「スキームの問題」だと、文科省は認識している。

これは学生の責任というよりは、スキームの問題ではないか。だからこそ、新たな学問的なニーズの中で、より学生たちに学ばせるようなスキームを大学がきちんと再構築していく。それによって、新たな時代に対応するような大学教育にしていかないといけない。米国をはじめ欧米の大学は皆そういうことをやっているからだ。日本の大学だけがそれを怠っていては、10年後、20年後の日本が危うい。世界でますます通用しなくなる。それをわかっていながら改革しないのは、学生にとって無責任だ。
(大学関連:激突対談 下村博文 vs 佐和隆光 どうなる? 人文系学部 http://mainichi.jp/articles/20151009/org/00m/100/023000c

ちなみに現行の日本の大学の「スキーム」に対し、これは「学位をお金で買う「ディプロマ・ミル」」だとする意見すらある。

世界の常識からみると、日本の大学の現状は、「ディプロマ・ミル」扱い、「つまりお金さえ積めば内容無関係に学位を発給する似非教育機関」。明治政府が作ったのは、歴史的に見て、大学ではなかった。
(●世界史が教える日本の大学の構造的欠陥 このままでは日本から大学が消えていく http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45954/#3

この点では冒頭の両氏も同じ意見のようだ。

伊藤 僕は、教育の問題が大きいかなと思っているんです。日本における大学の意味は、いい企業に就職するためのブランドでしかない。将来は大企業のお偉いさんになりたい。そのためには、この一流大学に入りたい。一流大学に入るためには、この高校、この中学がいいということで学校を選んでいます。何を学ぶかではなく、どの学校に入ったほうが有利か。

波頭 米国は、ある意味で日本以上に学歴社会だけれど、学歴がなくても突出している人間は実力で評価するという土壌があります。あの学歴偏重のゴールドマン・サックスでさえ、ハーバードでMBAを取っていなくても実績でエースになれる。

伊藤 米国では学歴はフィルターなんですよ。大量の人材をふるい分けるためのツール。学歴そのものが価値だとは思っていない。

そして大学の「スキーム」という点については、MITメディアラボ所長の伊藤氏の次の言葉に耳を傾けるべきかもしれない。教育とラーニングの違い。

日本と米国は、教育とラーニングという違いがあるんじゃないかと思う。出題者が求める答えを返すと満点になるのが教育で、出題者の意図とは違うけれど、出題者をひっくり返すほどの答えなら満点になるのがラーニング。日本はまさに教育国家でしょう。権威にいかに従うかを教えている。規格品をつくる工場労働者を育成するためには必要かもしれませんが、多様化の時代になり、オリジナリティが求められるようになると、権威に従う人材より「それはちょっと違うんじゃない」と言える人材のほうが重要です。

「教育とラーニング」の違いと「アクティブ・ラーニング

この「教育とラーニング」の違いについては、日本教育界に変化がある。小・中学校に2020年から全面実施される次期学習指導要領の中で触れられた「アクティブ・ラーニング」に、伊藤氏が指摘しているような方向への、日本教育界のかじ取りの変更が見て取れるのだ。

「アクティブ・ラーニング」はそもそもまず、学習指導要領改訂が目指す、育成すべき資質、能力が3つ掲げられ、それを達成する手段として、方法論として推奨されるもの。(意外と知らない“アクティブ・ラーニングのねらい” https://www.manabinoba.com/index.cfm/6,24310,13,html

ただこの構図への理解はまだまだこれからかもしれない(●初のアクティブラーニング全国調査 カリキュラム・マネジメントが鍵 http://society-zero.com/chienotane/archives/3737#1 )。というのも現状(2016年初め)ではまだまだ、「走り回るのがアクティブ」と誤解されたり(http://society-zero.com/chienotane/archives/3737#2 )、授業の「型」として議論され、認識されている危惧があるから。

文科省の説明も、どのように学ぶかという観点で、主体的に、また同時に協働的に学ぶことの重要性と、そして従来から学校現場で取り組まれてきた活動の延長線であることを強調している。
学習指導要領改訂の方向性とアクティブ・ラーニング http://society-zero.com/chienotane/archives/3175/#1

そのうえで、アクティブ・ラーニングでは、「プロセス」「インタラクション(相互作用)」「リフレクション(振り返り)」が、適切に学びの中に位置づけられるかどうかが重要、としている。


ここで指摘されている、2番目の「インタラクション(相互作用)」での、「他者との協働や外界の情報との相互作用を通じて」は、大学では当然過去の「他者」との対話や、異なる文化・時代という「外界」からの情報との相互作用へと広がっていくべきなのだろう。

つまり「他者との対話」は「古典」を含む専門書を通じた対話にもつながっていくし、「異なる文化・時代という外界から情報を得る」、ひとつの有力な手段はそのことを研究した専門書にあたったり、その当時の古典籍にあたることが不可欠になっていく。

要は「アクティブ・ラーニング」はアクティブ・ラーニング型の授業というせまい捉え方でなく、学びに向かう姿(アクティブ・ラーナー)実現の方法論。次期学習指導要領で育てられた子供たち(アクティブ・ラーナーたち)が大学に進学し、社会の課題に向き合ったとき、当然のごとく古典にも自ら手を伸ばしてこそ、「アクティブ・ラーニング」の意義は達成されるともいえる。

しかしこの「アクティブ・ラーニング」世代が大学に入っているころまでに、それでは大学の側が変われているか、「スキーム」の変更が達成されているか、それが次のポイントになりそうだ。

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http://society-zero.com/demo/index.html
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[追記:2015年3月14日]
[追記:2017年3月31日]
[追記:2018年2月27日]
大学生の読書離れは高校までの読書習慣が原因  http://society-zero.com/chienotane/archives/7649

←●大学生は本を買わない (コミック、教科書以外)本を読まない  http://society-zero.com/chienotane/archives/3775

 

 

 


◇関連URL
●日本の大学生は本を読まない? ピケティが出す「課題図書」は 〈AERA〉 http://dot.asahi.com/aera/2015111800095.html

●大学生の45.2%が「読書時間ゼロ」と判明し、衝撃が広がる http://irorio.jp/nagasawamaki/20160229/304336/

●15年分のデータを徹底調査してわかった、米国トップ大学の「課題図書」ランキング http://courrier.jp/news/archives/43484/

●アクティブ・ラーニング|EdTechPedia http://society-zero.com/chienotane/archives/1304

●アクティブラーニング型授業は 何を目指しているの? http://www.jeef.or.jp/child/201509tokusyu02/

●アクティブ・ラーニングに関する議論 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/siryo/__icsFiles/afieldfile/2015/09/04/1361407_2_4.pdf

●意外と知らない“アクティブ・ラーニングのねらい” https://www.manabinoba.com/index.cfm/6,24310,13,html

●学習指導要領改訂の方向性とアクティブ・ラーニング http://www.sky-school-ict.net/shidoyoryo/151218/