幻想の「集団的自衛権」|『もしロシアがウクライナに勝ったら』

「私は、エストニアの小都市一つのために第三次世界大戦のリスクを冒すつもりはありません。(米大統領)」(第13章 盗聴防止策が施されたビデオ会議――2028年3月27日)

■現実となる「戦慄のシナリオ」

2025年、実はウクライナが和平協定に署名していた。

『もしロシアがウクライナに勝ったら』は、ウクライナ侵攻に勝利したロシアがその三年後(2028年)に取った行動と、それに動揺する西側世界を、冷酷なまでにリアルにシミュレーションした近未来小説だ。著者はカルロ・マサラ氏。ドイツにおける小泉悠氏のような存在と思えばよい。ロシアのウクライナ侵攻を機にテレビで連日軍事的な視点で解説をしている軍事・安全保障の専門家。

もしロシアがウクライナに勝ったら

さて場面は2028年、バルト三国のひとつ、エストニアの小都市でロシア国境近くのナルヴァ。「爆発音で、住民たちは夢から現実に引き戻される」。ロシア軍が侵略してきたのだ。ウクライナと異なり、エストニアはNATO加盟国。

果たしてNATO第五条、「集団的自衛」は本当に機能するか、核兵器の存在が同盟をいかに逡巡させるのかを、本書は読者に突きつける。同時に読者は奇妙な既視感に幻惑される。

日本語版が2025年6月の刊行。原書ドイツ語版は3月。原稿が2月に版元へ行ったとして、とにかく2025年頭の時点で書かれた小説の展開を、2025年の12月、この一年に何が起きたかを知っている私たちに、「すでに始まっている」と感じさせる書き物なのである。フィクションでありながらリアリティを感じさせる小説になっている。
 

■目に見えない戦場、ハイブリッド戦争の正体

リアリティはたとえばハイブリッド戦争。軍事的な力だけでなく、サイバー攻撃、情報操作(偽情報拡散)、経済的圧力、世論誘導、非正規部隊の活用などを巧妙に組み合わせる新しい形態の戦争。狙いは、軍事と非軍事の境界を曖昧にすることで相手国を混乱・不安定化させ、政治的目標を達成することにある。市民は常に、正体不明の脅威を感じることになる。

本書でもドイツの軍需企業CEOの不可解な死や、イギリス空軍基地への爆発事件などがおきる(第13章 盗聴防止策が施されたビデオ会議)。

リアル世界では、バルト三国やポーランドで、政府機関・インフラへのサイバー攻撃とSNS上の偽情報キャンペーンが報告されたり、リトアニアなどの空港周辺では、カリーニングラードからとみられるGPS障害が頻繁に発生している。

また、海底ケーブル・パイプラインなどのインフラへの不審活動、ドローンによるエネルギー施設・港湾上空の飛行、さらには物理的攻撃など、「偵察・事前配置」を思わせる活動も珍しくない昨今である。ハイブリッド戦争は始まっている。
 

■中露連携と「地域分割」の密約

また中国による陽動作戦が、「第7章 計画」に登場する。これは近時の、中国がフィリピン沖における、艦船の常駐やフィリピン船への妨害行為など、威圧的な展開を強めていることと暗に符合する。

そして計画実行後の「第14章 モスクワ――2028年3月27日」には次のようなくだりがある。

「まさにこの理由から、昨日私は習主席と電話で話し、米軍の一部をアジアに引きつけるという尊い支援に感謝するとともに、中国に再び援護を求めるようなことはないと約束した。習主席にも、ロシアと中国のあいだの友好関係は揺るがないこと、そして我々が、平和かつすべての民族にとって公正なシステムの実現という共通の目標に近づきつつあることに同意いただいた。」

そして物語は、「エストニアの一部(ナルヴァとヒーウマー島)をロシアが圧倒するも、NATOが有効に反応できない」という形を、視覚化させることに成功したところで終わり、ロシア大統領と習近平はこういう会話を交わす。

ロシア大統領:「歴史は過去100年を上回るスピードで動いていますよ。習主席」

習近平:「いかにも。そしてその行方を決めるのは、我々です。」

 

■同盟の死―「集団的自衛権」という幻想

「エストニアの一部(ナルヴァとヒーウマー島)をロシアが圧倒するも、NATOが有効に反応できない」という形を、視覚化させている点が、本書の一番のポイントだ。物語の中で、NATO第五条、「一国への攻撃は全体への攻撃とみなす」という「集団的自衛」はどう展開しているのか。

まず歴史的にソヴィエトと向き合った国は、NATO第五条の発動を当然視する。

ドイツ:「その目的が何であれ、ロシアはNATOの領土を攻撃したのです。そのような挑発行為に対して手をこまねいて見ているわけにはいきません。」(第13章 盗聴防止策が施されたビデオ会議――2028年3月27日)

ポーランド:「たとえそれがどれほど小さくとも、同盟の領土保全に対するいかなる侵害も容認できませんし、容認してはなりません。(略)いまここで、一平方メートルたりとも余すところなく同盟の領土を守り抜かなければ、それは同盟の終わりを意味します。いざというときに適用されるはずの第五条に頼ることができないのであれば、同盟がなお必要な理由はどこにあるのでしょうか?」(第15章 ブリュッセル・NATO本部――2028年3月27日)

しかし、理屈をこねて「大人の判断」を奉じる国による、「平和」という名の妥協が、結果として「同盟の死」を招くことになるか。

イタリア:「しかしながら、エストニア政府が、同国内に居住するロシア人という少数民族の権利保護に関し、これまであまり思慮深い対応をしてこなかったことも事実です」

ハンガリー:「我々はいま、勝者なき第三次世界大戦の可能性について話しているのです。軽率な行動によってそのような事態を引き起こすのは、狂気の沙汰です」(いずれも第15章 ブリュッセル・NATO本部――2028年3月27日)

最後に、自身が核を保有する国は、反対に回る。

フランス:「(このたびのロシアの軍事侵攻は)対NATO戦略であるとは考えにくいように思います。エストニアのロシア系住民を守るためでしょうか?」

英国:「クライド海軍基地で、数度の爆発がありました。ご存じのように、クライド基地には原子力潜水艦が停泊しています。そのため、まずはこの問題に対処することが、国家的義務であると判断しました。」

米国:「これはエストニアとロシアの問題です。我々は、解決に向けて手助けをすることができます。しかし我が国、米国は戦争に巻き込まれるつもりはありません。ナルヴァのために第三次世界大戦のリスクを冒すつもりはありません。」(いずれも第18章 ブリュッセル・NATO本部――2028年3月28日)

 

■トランプが描く「大国による世界分割」

本書が示す最大の警告は、「同盟は自動的には動かない」という現実。

著者は日本語版序文で、ロシアがウクライナに勝てば「領土拡張を目的とした武力行使と侵略戦争が二十一世紀の国際政治において常套手段となる可能性」を警告している。最近の新聞雑誌でも、こういった指摘をよくみかける、つまり、アメリカの同盟国へのコミットが弱体化すれば、中国による尖閣、台湾への侵攻などが考えられる、というのだ。

そのとき、日本の集団的自衛権はどう機能するのだろうか。

この点で大きな不安材料になる報道があった。

現在の地政学的パワーバランスを反映した新秩序への移行を、少なくともトランプ大統領は指向してる、というのだ。21世紀も第二四半期に入ろうとしている現在、「権威主義国家と民主主義国家」という対立軸は、もはや色あせた感がある。これからは「地政学的パワーバランス」の時代になるのだろうか。

トランプ大統領がさきごろ発表した「国家安全保障戦略」は、「アメリカ第一」を掲げ、中国との競争と台湾防衛を最優先に、同盟国へ防衛費増額をもとめている。だが、その裏で、非公開とされた文書の存在が取り沙汰されている。

そこにはなんと、「人口・軍事力・グローバルな影響力」に優れた「大国」が地球を地域分割統治する絵図が描かれている。

・G7からC5へ トランプが描く21世紀の新・国際秩序 | ちえのたね|詩想舎 https://society-zero.com/chienotane/archives/10404

中国という「大国」が統治するアジア圏でのもめ事に、南北アメリカを統治する米国が干渉することはない、という意志が、「G7からC5へ」というキーワードにはにじみ出ている。この本の著者が設定した虚構のはずのロシアと中国の首脳による会話が、まるでリアル世界に露出したようだ。再掲してみよう。

ロシア大統領:「歴史は過去100年を上回るスピードで動いていますよ。習主席」

習近平:「いかにも。そしてその行方を決めるのは、我々です。」