電子出版の歴史は、技術革新と産業構造、そして文化的背景が複雑に絡み合いながら展開してきた。欧米と日本は同じ「電子出版」という領域に属しながらも、その発展の起点、主導したプレーヤー、規格の受容、そして市場構造が大きく異なる。とりわけ日本は、独自規格・独自制作・独自市場によって「ガラパゴス化」と呼ばれる状況を生み出したが、近年のWebtoonの台頭によってその構造が揺らぎ始めている。
■80年代以前:電子出版の萌芽期 ― 欧米は学術、日本は辞書
■90年代:CD-ROM時代とインターネット黎明期 ― 欧米はオンライン化、日本は固定型+辞書規格
■2000年代:EPUB登場と標準化 ― 世界はEPUB、日本は独自規格からEPUB 3へ
■2010年代:スマホ普及と市場成熟 ― 欧米は一般書、日本は漫画中心(ガラパゴス化のピーク)
■2020年代:アクセシビリティ義務化とWebtoon台頭 ― “ガラパゴス”からの脱却を迫られる日本
■総括:ガラパゴス化とWebtoonによる構造転換
■ 80年代以前:電子出版の萌芽期 ― 欧米は学術、日本は辞書
電子出版がまだ産業として成立していなかった時期、欧米では大学・研究機関・政府が中心となり、学術情報の電子化が進んだ。米国では Dialog や LexisNexis といったオンラインデータベースが登場し、研究者がネットワークを通じて文献検索を行う仕組みが整備されていった。学術情報が電子化され、ネットワークで流通するという構造は、後の電子ジャーナルの基盤となる。
一方、日本では辞書・事典の電子化が早期に進んだ。三省堂や大修館書店、研究社などが電子辞書の開発に積極的で、シャープやカシオといった電機メーカーと連携し、電子辞書端末の研究が進んだ。CD-ROM辞書の制作も活発化し、辞書電子化に関しては日本が世界的に先行していた。この時期の起点の違いは、後の40年の展開に大きな影響を与えることになる。
■ 1990年代:CD-ROM時代とインターネット黎明期 ― 欧米はオンライン化、日本は固定型+辞書規格
1990年代には、CD-ROM出版が商業的に普及し、百科事典や教育ソフトが広く流通した。欧米では、Microsoft の「Encarta」や Britannica Online が象徴的な存在で、学術情報や一般的な知識コンテンツがオンラインで提供され始めた。学術ジャーナルのオンライン化も急速に進み、Elsevier や Springer が電子ジャーナルの提供を開始した。
日本では、EPWING規格が確立し、辞書電子化で世界をリードした。三省堂「大辞林」、大修館「明鏡国語辞典」、研究社「新英和中辞典」などがEPWING化され、電子辞書端末やCD-ROM辞書が普及した。一方、一般書の電子化はまだ限定的であった。しかも、レイアウトの複雑さが特徴であった日本の出版物の紙面、それを忠実に再現する固定型が主流となっていく。NTTや富士通がオンライン辞書サービスを提供したものの、欧米のように一般書がネットで読まれる状況には至らなかった。
この時期、日本の電子出版はすでに「独自路線」を歩み始めていたといえようか。欧米がネットワーク化された学術情報を中心に電子化を進め、一般書の電子化へとステップアップ始めていたのに対し、日本は辞書・事典の電子化が中心で、一般書の電子化は周辺的だったからだ。
■ 2000年代:EPUB登場と標準化 ― 世界はEPUB、日本は独自規格からEPUB 3へ
2000年代は電子出版の標準化が進んだ時期である。欧米では、IDPFがEPUBを標準規格として確立し、2007年の Amazon Kindle の登場によって一般書の電子化が急速に普及した。出版社はXML-first制作を導入し、構造化データを基盤にEPUBとPDFを生成するワークフローが広がった。アクセシビリティ要求も強まり、リフロー型EPUBが事実上の標準となった。
日本では、シャープのXMDFやボイジャーのドットブックなど独自規格主流の状態で、固定型電子書籍が流通していった。出版社の制作ワークフローは印刷用InDesignを中心とし、電子書籍はその二次生成物として扱われ、InDesignがアウトプットする画像PDFを起点とする電子化であった。そのため構造化データの導入は欧米より遅れたが、EPUB 3の策定において日本語組版の要求(縦書き・ルビ・禁則など)が世界標準に組み込まれたのは画期的であった。JEPAや電書協がIDPFに積極的に働きかけ、EPUB 3は日本語組版を世界標準に取り込んだ規格となった。
この時期、日本の電子出版は「独自規格」「独自制作」「独自市場」という三拍子が揃い、ガラパゴス化という言葉が使われるようになる。
■ 2010年代:スマホ普及と市場成熟 ― 欧米は一般書、日本は漫画中心(ガラパゴス化のピーク)
スマートフォンの普及により電子書籍市場は成熟期を迎えた。欧米ではKindleストアが一般書市場を席巻し、フィクション・ノンフィクションが電子化の中心となった。公共図書館では OverDrive が普及し、電子書籍貸出が一般化した。学術出版ではオープンアクセスが急拡大し、PLOS や BioMed Central が新しい出版モデルを提示した。
日本では、電子書籍市場の約80%前後を漫画が占めるという世界的に特殊な市場構造が確立した。KADOKAWA、集英社、講談社、小学館などが電子コミックを積極的に展開し、コミックビューアやコマ単位表示など独自の進化を遂げた。BookLive、コミックシーモア、LINEマンガなど複数のストアが乱立し、DRM方式も多様化した。その裏で依然一般書の電子化は欧米ほど伸びず、電子図書館の普及も遅れた。
■ 2020年代:アクセシビリティ義務化とWebtoon台頭 ― “ガラパゴス”からの脱却を迫られる日本
2020年代に入ると、欧州ではEuropean Accessibility Act(EAA)が施行され、リフロー型EPUBが完全標準化した。アクセシビリティ対応が電子出版の中心課題となり、学術出版ではオープンアクセスがさらに拡大した。欧米の電子出版は、規格・制作・流通のすべてが国際標準に収斂しつつある。
日本では、漫画電子版が市場の中心のまま拡大しているが、ここで大きな構造変化が起きた。それがWebtoonの台頭である。韓国の NAVER Webtoon や Kakao Piccoma が世界市場を席巻し、縦スクロール型の国際標準フォーマットが確立した。日本の出版社は、従来の単行本制作を前提とした電子コミックでは国際競争に対応できなくなり、Webtoon制作体制の導入を迫られている。
Webtoonは、スマホ最適化、国際流通前提、翻訳・制作のグローバル体制を備えており、日本の電子出版に以下の構造変化をもたらしている。
第一に、制作ワークフローの国際化である。従来の「紙の単行本 → 電子化」ではなく、「Webtoonとして国際市場向けに制作 → 日本語版も同時展開」という逆転現象が起きている。
第二に、規格・ビューアの標準化である。日本独自のコミックビューアではなく、Webtoon向けの国際標準ビューアが求められるようになった。
第三に、市場構造の国際化である。日本市場だけを見ていては成立せず、韓国・北米・東南アジア・欧州を含む国際市場が前提となる。
こうして2020年代、日本の電子出版は「ガラパゴス」からの脱却を迫られ、国際標準への適応が避けられない状況に入った。
■ 総括:ガラパゴス化とWebtoonによる構造転換
日本の電子出版は、辞書電子化の先駆者として始まり、独自規格と漫画市場によってガラパゴス化し、Webtoonによって国際標準への再接続を求められるという、非常にユニークな40年史を歩んできた。欧米が学術情報のネットワーク化から電子出版を発展させ、EPUBとアクセシビリティを軸に国際標準化を進めたのに対し、日本は辞書電子化と漫画市場を中心に独自の進化を遂げた。しかし、Webtoonの台頭は、日本の電子出版が初めて外圧によって構造転換を迫られる歴史的転換点となっている。