大坂なおみにパラダイム転換の夢を見るか

 ◎普遍性のパラドクスを解く鍵は、グローブ(水の惑星・地球)の視座にある◎

(この記事は知のパラダイム転換  の続きです)

女子テニスプレイヤーの大坂なおみ選手が、2021年7月6日東京五輪出場を明言するコメントを発表しました。

「東京オリンピックは出場します。なぜなら、日本は私が生まれた国であり、大切な母国だからです。日本での思い出はたくさんあり、私の生き方や考え方に影響しています。」

「母国日本の皆様と、この星の全ての皆様に、感謝と愛を込めて。(大坂なおみ)」
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASP7664JMP76UTQP011.html%3Fusqp%3Dmq331AQIKAGwASCAAgM%253D

この言葉を手がかりに脱西欧中心主義という世界の常識(=日本の非常識)と「パラダイム転換」についてもう少し深掘りしてみます。


(Naomi Osaka: 'It's O.K. Not to Be O.K.' | Time https://time.com/6077128/naomi-osaka-essay-tokyo-olympics/

 

 目 次
「幸福は風土的なのである」
普遍性のパラドクス
複数の普遍価値が併存した時代
大坂なおみとメタ普遍主義の視座

 

「幸福は風土的なのである」

「加藤博のiCardbook」のうち、下巻(Vol3.)は知のパラダイム転換を考える上で必要な基本概念を解説した一冊になっています。初期条件、制度、経路依存性の三つを整理した後、経済主体の行動に影響を与える外部条件(外部経済)の議論が第二章で展開されます。ここで生態系(自然環境)と地理的な立地条件が第二節で取り上げられていました。

第2章 イスラーム経済の外部経済
第1節 イスラーム経済を支えた制度
第2節 生態・立地環境
第3節 商業とネットワーク外部性

さらにその第2節で和辻哲朗の『風土―人間学的考察』が参照されています。「和辻が提起した人間の営みにおける風土性の議論は、今日、その重みを増している」として、次の文が続きます。

風土 イスラーム世界の社会秩序 もうひとつの「市場と公正」 Vol.3

そこであらためて『風土』を読んでみると、西欧近代がスタートした18世紀、実は西欧のただ中から脱西欧中心主義を唱える哲学者が登場していたことを特筆しています。

風土 ヘルダー

幸福は風土的なのである」。

この印象的なメッセージは18世紀ドイツの哲学者、ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーの著作にある一節です。風土は、そこに住む人間の物質生活はもちろんのこと、芸術やものの考え方などの文化的、精神的生活にまでその影響を刻印します。大坂選手コメントの前半と呼応するものがありますね。

ヘルダーは若いゲーテと出会い、「シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)」運動のきっかけをつくった人物として知られています。彼は、『人間性形成のための歴史哲学異説』『イデーン(人間史の哲学の諸理念)』により、当時隆盛のデカルト的自然観と異なる、人間精神と自然世界とを統一的に把握する独自な歴史観を確立させた人物でした。

彼の仕事の中でもっとも驚くべきは、「人類→地球→宇宙」のスパンで思考を巡らせていたことです。西欧近代を相対化する以上の視点を教えてくれるという点で、21世紀の今、もっと振り返られて良い哲学者のように思えます。

なぜなら脱西欧中心主義からパラダイム転換の思考へと進めて行くには、すなわち単なる相対化やその場しのぎの多元主義に終わらせないためには、メタ普遍主義の視座が重要だと考えられるからです。

 

普遍性のパラドクス

前回の記事で 、民主制のもとで成立すると想定されていた「自由で平等で包摂的な経済社会」を獲得するには知のパラダイム転換が必要だ、としました。ただ経済社会システムの方向転換や改変は、単にマクロレベルの制度の束の改変だけでできるものではありません。その時代、その社会の個々人の「意識や価値、倫理、行動様式」の変容を伴う必要があります。知のパラダイム転換とはそういうことですね。

前回記事はさしあたって「西欧中心主義」の価値原理からの脱却が、あるいはその相対化が、テーマでした。しかし近代西欧が打ち立てた価値原理体系は、20世紀の間、その普遍性が支持されたものです。ここで脱西欧中心主義と称して別の普遍原理を探しに行くのがテーマに対する、真の「解」となるのでしょうか。

ひとつの普遍原理の普遍性を否定しておいて、次の新たな普遍原理を声高に主張するのは、なにか間違っているような気がします。普遍性のパラドクスとでもいえそうな難題がここにあります。あの3.11は普遍原理同士が他を排斥したときに起きた悲劇だったといえるでしょう。

 

複数の普遍価値が併存した時代

ちなみにかつて複数の普遍価値を唱える思想が併存した時代がありました。紀元前5世紀頃、ドイツの哲学者ヤスパースが枢軸時代と呼び、科学史家の伊東俊太郎が精神革命と名付けた時代のことです。

このころ期せずして同時期に、ただし地域を異にして生まれた普遍思想ないし普遍宗教(仏教や儒教、ギリシャ哲学や旧約思想)は、その内容は互いに大きく異なりながら、自らの思想が普遍的(ユニバーサル)だとし、人類全てに当てはまるものと主張していたのでした。

しかし実際には、そうした普遍思想は、それが生まれた風土の影響を色濃く反映していたうえ、その個別の地域が抱えていた特殊な時代的要請(「問い」)に応える形で生まれたものでした。

無論この時期ですらわずかながらの交易を中心とした交流はありました。が、普遍思想相互は総じて没交渉といってよくそれぞれの世界で普遍性を誇示していられたといってよかったのです。「問い」の違いと風土・生態の違いが複数の普遍思想を生み出し、併存させていたのでした。

 

大坂なおみとメタ普遍主義の視座

さて紀元前5世紀と21世紀との違いはグローバル化です。地球規模での「問い」の同質性が確認できます。

ここで単語の使用として、「グローバリゼーション」を地球上のあらゆる地域を同質化させていく、いわゆる「マグドナル化」という意味に限定してしまいましょう。そのうえで経済、政治、文化など人間の諸活動が、国や地域などの地理的境界や枠組みを越えて、グローブを舞台に行なわれる趨勢。趨勢だけを切り出して「グローバル化」とします。

グローバル化の時代、いま切実な「問い」とは以下ではないでしょうか。

地球上の地域の個別性や多様性に目を向けながら、経済や文化、宗教の多様性を俯瞰し、その全体的な構造を理解すると言う視点、これをいかに構築すべきなのか。

ここで冒頭の大坂なおみ選手のコメント後段に目をやりましょう。

「母国日本の皆様と、この星の全ての皆様に、感謝と愛を込めて。(大坂なおみ)」

特になんのひっかりもなく、自然に理解できる文章です。しかしそのこと自身、つまり「なんのひっかりもなく、自然に理解できる」のはここ最近のことではないでしょうか、少なくとも紀元前5世紀頃の人々にそれはなかった。「意識や価値、倫理、行動様式」の変容がゆっくりながら始まっているといえないでしょうか。

「この星」は空に見えるあの星ではないのです、決して。グローブ(水の惑星・地球)なのです。

「地球は青かった」のガガーリン少佐を知っている世代ですら、坂本九が歌う「見上げてごらん夜の星を」の「星」にガガーリンの目線を感得したことはなかったはずです。20世紀はまだそういう時代でした。

ところがパンデミックやメンタルヘルスといった身体性に触れた後「この星の全ての皆様に」、と大坂なおみがいうとき私たちが共有共感するもの。それは今までにない、もう少し新しい何かだとは思えないでしょうか。


(Naomi Osaka felt pressured to reveal mental health struggles - Los Angeles Times https://www.latimes.com/sports/story/2021-07-08/naomi-osaka-felt-pressured-into-revealing-mental-health-struggles

「この星」を、自身がその生存を依存している自然のことだと、しかも漆黒の宇宙の中に浮かぶ孤独な球体だと、有限の自然としての水の惑星・地球(グローブ)だと、そういう実感を、身体とともに感得する時代は、ホモサピエンスの歴史の中で21世紀のいましかありません。

「ローカル(個別的・地域的)」と「ユニバーサル(普遍的)」の対立に橋を架けるメタ普遍主義の視座が、生物の種として同一である人間という認識から、世界で共有されていく日を待ち望みます。複数の普遍価値を超え出るグローブの視点、メタ普遍主義の視座こそがパラダイム転換の内実となるのではないでしょうか。

 


I am sure someone will come up with a new myth, supported by entirely new ideas for humanity in the global society of the 21st century-for a very simple reason: we merely have to look back at our small blue planet from outer space.

21世紀のグローバル社会における人間性のための、まったく新しいアイデアに支えられた新しい神話を、誰かが提起すると私は確信している。理由は単純だ:私たちは、私たちが生きる小さな青い惑星を、宇宙空間から振り返りさえすればいいのだから。
(『The Origin of the World's Mythologies(世界の神話の諸起源)』 E.J. Michael Witzel)


 

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