ハッシュタグ(#)としての「人新世」

◎地質年代区分のひとつ、「第四紀」に込められていた問題意識や論点設定の動機から産まれた新語が「人新世」。地質学会が区分厳密化の過程で「第四紀」の呼称をフェードアウトさせる中、問題意識や論点設定の要素を取り出し、むしろ地質学会の外、環境学や人文社会系で沸騰ワードになりつつある。近時、経済思想史、哲学といった学問領域から再考の声があがり、環境問題と格差問題を通底する概念として「資本新世」の語も◎

この記事では後半を扱います。

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【目次】
そもそも「人新世」って 何?
ハッシュタグ(#)としての「人新世」
「人新世」とは そのデータ群・事実認識


 

■人新世への動議

ことの発端は、ある会議での不規則発言だったとも言われています。2000年2月、オゾンホール研究でノーベル賞を受賞した大気化学者パウル・クルッツェンが、メキシコで開催されていた会議の場で、地球環境の変化についての議論に耳を傾けていたのですが、苛立ちのあまり、思わず叫び声を上げてしまった。

「違う! 今はもう完新世ではない。今は......今は人新世だ!」

もっとフォーマルな言挙げとしては、クルッツェンが生態学者のユージン・F・ステルマーとともに発表した論文、「"The 'Anthropocene'," in Grobal Change Newsletter, Vol.41, 2000, pp.17-18.」でした。
・人新世?

(総合研究大学院大学・長谷川眞理子学長の制作図画)

「今はもう完新世ではない」とは、人間の活動が地球に与える影響は恐竜を絶滅させた巨大隕石の衝突と同じレベルの痕跡を残す可能性があるとの考察が背景にあります。具体的な例では、二酸化炭素濃度の上昇によるオゾン層や生態系の破壊、森林伐採による動植物の絶滅、プラスチックやコンクリート、放射性物質の地上への拡散など。

かねて保守的で通っている地質学会ですが、「人新世」を地質年代として採用するかについて、現在かなり好意的に受け入れられ、たとえば「2016年8月に行われた第35回国際地質学会議での検討作業では、「人新世」を正式に採用するかどうかについて、賛成30/反対3(棄権2)という投票結果が示された」とのことです。ただそれでも正式な採用にはなお、数年がかかる模様で、5年経過した現在(2021年)いまだ正式批准はされていません。

 

■論点設定や問題意識としての「人新世」

新たな「地質年代」の定義には多くの証拠が積み重ねられ、世界中の専門家からなる国際的な学術団体の議論を積み重ねてようやく設定の運びとなる性質のものです。しかしそれら定義プロセスとは別に、他分野の研究者やジャーナリスト、活動家によって、「人新世」は環境問題や文明論を語る際の鍵概念として多用される事態となっています。そもそも発議者が地質学の部外に位置づけられる学者(大気化学者、生態学者)でした。

しかも発議者が地質年代定義の問題より、論点設定や問題意識の共有こそを重要と考えていた点が、「人新世」問題では特徴的です。

「人新世という言葉が、世界への警告となればいい。私はそう願っています」
(特集:シリーズ 70億人の地球 地球を変える「人類の時代」 2011年3月号 ナショナルジオグラフィック  https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/1103/feature02/_02.shtml

つまり「人新世」の単語は、現代社会に投げこまれたハッシュタグ(#)の機能を担うアイコンのようなものと考えていいでしょう。「人新世」は明らかに、「公害」や「気候変動」「地球温暖化」のような、環境破壊を示す用語とは異なる性格を帯びてきていて、「異を唱える」、より「知を統合する」「システムをパラダイムシフトする」方向への知的営為を促す檄のように感じられるからです。

それは、地球上に生命が誕生してからの超長期的な時間軸と現在進行形の危機とを結びつけるべきだ、との警鐘です。それは、科学的視点と人文学的視座とを統合し、20世紀半ばから人類が地球上で圧倒的かつ決定的な影響力を持つに至った事態へ対処できるのは人間しかいないことを訴え、動き始めよ、と呼びかけています。そういう社会運動を促す、ハッシュタグとしての機能を果たしているのが「人新世」ではないでしょうか。

なにより「人新世」は、地質学から出てきた概念だけに、人類が誕生する前から地球は存在していたし、人類が絶滅した後にも地球は平然と別の地層を堆積しつづけるだろう、という含意を含んでいます。地球システムの構成要素にさらに生態系の内部に、「人間圏(anthroposphere)」を位置づけ直す、意識と行動が必要です。そうでなければ地球システムごとヒトが滅亡し、死の惑星となる未来が待っているかもしれません。

ちなみに雑誌で、青土社の「現代思想」が2017年の12月号で、また岩波書店の「世界」が2021年5月号で、「人新世」をテーマに特集を組んでいますが、参画した学者の専門領域は、地質学、環境学だけでなく、経済学、政治学、社会学、文化人類学、経済思想史、科学史、哲学と多彩です。確かに科学的視点と人文学的視座とを統合が目指されています。


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そもそも「人新世」って 何?
ハッシュタグ(#)としての「人新世」
「人新世」とは そのデータ群・事実認識


 

■クリップ集

●2021年度秋季学位記授与式 学長式辞【2021年9月28日】 国立大学法人 総合研究大学院大学 https://www.soken.ac.jp/news/7132/
「そもそもなぜCOVID-19のパンデミックが始まったのかを問うと、人間(それも、おもに先進国の人間)による野放図な文明の発展の影響を考えないわけにはいきません。
(略)
1950年から2020年までの間には、それまでとは打って変わって、すべてが驚くべき角度で急上昇し、現在に至っています。それと同時に、世界中の生態系が改変され、森林は破壊され、都市が建設され、生物種の絶滅が加速しました。こうして、他の生物の生息地を破壊して人間の生活圏が拡大していったあげくに、今まで人間とのかかわりを持たなかったウイルスと人間との接触も激増していったのです。今回のCOVID-19は、その結果の一つに過ぎません。だから、これが収まれば終わりということもないのです。(略)

今回のパンデミックは、欧米先進国のこれまでのあり方に代表されるものにブレーキをかけ、見直しを迫るとともに、欧米先進国以外の文化に、新たにめざすべき姿を描くチャンスを与えたものと思っています。」

 

●養老孟司・斎藤幸平対談、「足るを知る」生き方が世界を救う 人はどうすれば「自然」に回帰できるのか https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/67256
「経済や社会の土台から考え直さなければならない時期に来ています。「経済成長は続くのだ」と思い込むのは、「成長教」とでもいうべき宗教ですね。」
「今、必要なのは気候危機を前にした成長を前提としない制度設計です。」

「カギとなるのが里山の循環です。マルクスは、人間が絶えず自然に働きかけることで生じる、自然との循環的な相互作用を「物質代謝」と呼びました。人間が手入れをしながら自然と共存していくイメージです。」

「人が手を入れてない状態が「自然」だという考え方はおかしいんですよね。日本が考えるべきは、手入れをして活かしてきた、身近な里山の自然でしょう。」

 

●『人新世の「資本論」』著者に聞く、「脱成長」は環境問題の唯一のアンサーか https://diamond.jp/articles/-/278698
SDGsは「大衆のアヘン」:
「斎藤 環境問題がマイバッグやマイボトルのような小手先の対策で解決しないことは身もふたもない現実です。ましてや大量生産、大量消費のビジネスモデルを手放そうとしない大企業がSDGsを標ぼうするのは、悪質なアリバイづくりにすぎません。資本主義と経済成長にブレーキをかけない限り、抜本的な解決はできないと私は考えています。」

「3.5%の人が本気で立ち上がれば社会が大きく動く」

 

●「人新世の危機とマルクス」(視点・論点) https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/448146.html
「かつてマルクスは、『資本論』のなかで、無限の経済成長を目指す資本主義が、格差を生み出すだけでなく、人間と自然の関係を大きく歪め、「修復不可能な亀裂」を生み出すことを批判していました。事実、今日(こんにち)の経済のグローバル化によって、人類の経済活動はこの惑星全体を覆うようになり、もはや地球上に手つかずの自然は残っていません。人類は地球環境を一変させる巨大な力を行使するようになっているのです。」

 

●人間がつくった「人工物」の総量は、こうして地球上の生物量を上回った https://wired.jp/2020/12/25/all-the-stuff-humans-make-now-outweighs-earths-organisms/
イスラエルの研究機関が「人新世」の到来を象徴する衝撃的な推計を学術誌『ネイチャー』で発表した。2020年内で地球上にあるコンクリートや金属、プラスチックといった人工物(人為起源物質)の総重量が、生物の総重量(生物量)を上回った可能性があるという。20世紀初頭には、生物の3%に満たなかった人工物の総重量は指数関数的に増加し、1兆トンを超えた。さらに、20年後には現在の約2倍になる。
・「人為起源物質」が「生物量(乾燥重量:物、動物、微生物など、生きているあらゆる有機体)」を上回った
人為起源物質=Anthropogenic mass/生物量=Biomass

(Global human-made mass exceeds all living biomass | Nature https://www.nature.com/articles/s41586-020-3010-5

 

●気候変動を理解するには「キャピタロセン」を理解せよ:ある環境史学者の提言 https://wired.jp/2019/10/17/capitalocene/
資本主義はひとつの権力システムであり、文化のあり方だ。だから「人新世」より、いま私たちが課題に設定すべきは「資本新世」ではないか。

「人新世」が提起した論点設定や問題意識に対して、その用語が引き起こす欺瞞をまず交通整理した方が良い、と主張するのは、ニューヨーク州立大学ビンガムトン校の環境史学者、ジェイソン・ムーア。

「「アントロポセン(人新世)」という言葉からは、わたしたち人類の敵はわたしたち自身だ、というニュアンスが感じられます。人間が環境に与えた影響は自分たちで埋め合わせしなければならない、もっと環境に優しい消費者にならなければならない、人口増加に気を配らなければならない、といった具合です。しかし、力と富が極端に不平等な世の中の仕組みによって、そう思い込まされているにすぎません。」

 

●人文学において地質年代を語ることの意味とは何か
https://researchmap.jp/inokuchi/misc/27352226/attachment_file.pdf
「人新世の概念に対して、地質学の視座から適切に考察が加えられる必要があろうことも言を俟たない。しかしそれ以上にこの概念は、自然科学の範疇を大きく超えるような、人間の営みや人間存在自体の再考といった人文学の幅広い分野の関心を惹起している。またそうした議論においては既にさまざまな批判も提起されており、「人新世」に代わる名称の提案が行われてもいる。」

 

●1760夜 『人新世とは何か』 クリストフ・ポヌイユ&ジャン=バティスト・フレソズ https://1000ya.isis.ne.jp/1760.html
「ちなみに最近は「人新世」を冠した本がふえつつあるが、クリガン=リードの『サピエンス異変』(飛鳥新社)、篠原雅武の『人新世の哲学』(講談社選書メチエ)など、いずれも帯には短く襷には長かった。千夜千冊の読者はやはり本書にとりくむのが一番いいと思う。
またちなみに、ついに100歳を迎えたジェームズ・ラブロックがアントロポセン(人新世)よりもさらに先を見越した『ノヴァセン(Novacene)』(NHK出版)という本を仕上げ、落合陽一君を悦ばせていた。気楽に喋っているような本だが、エレガントな味がある。アントロポセンのあとの時代は、ついに電子的知性が関与するだろうという予言になっている。」