ラス・カサスの格闘の軌跡(年表)

◎この記事は、ラス・カサスの「普遍性」 の補足情報です◎

 

■ラス・カサスとインディアスに関連する年表 その1

1484年 スペインのアンダルシア地方、セビリアに生まれる(ラス・カサス 0歳)

1492年 コロンブスがバハマ諸島に到達、新大陸の発見(当時「新大陸」はインド(広義のインディア)であると考えられていて、スペイン人は「インディアス」と呼称)

1493年 ローマ教皇が「贈与大教書」を発布(スペイン王国に​新しい​領土​の​独占​的​かつ​恒久​的​な​所有​権​を​認める内容)

1494年 ローマ教皇がスペイン・ポルトガル間で締結されたトルデシリャス条約を承認(「贈与大教書」の境界線も修正)

1502年 インディアス渡航(18歳)

1503年 インディアスにエンコミエンダ制が導入される

1511年 ドミニコ会の一員モンテシーノスが、スペイン王国によるインディアス征服戦争とインディアス先住民を奴隷化するエンコミエンダ制、ふたつについてその正当性を問いただす(インディアス論争の始まりであり、「キリスト教的良心の覚醒」と後に呼ばれた)

1513年 インディアスを対象とした最初の植民地法である「ブルゴス法」が発布される

16世紀のヨーロッパ・キリスト教世界の伝統的な価値観や世界観の、普遍性が問われることとなった

 

■ラス・カサスとインディアスに関連する年表 その2

1514年 キューバ島で「回心」を経験。以降、新大陸の先住民インディオの人間性を尊重するための活動が始まる(30歳)

1515年 セビリアにてスペイン国王フェルナンドに対し、新大陸の実情を訴える(31歳)

1521年 ドミニコ会に入会(37歳)

1521年 エルナン・コルテス軍が新大陸の中のメキシコ高原に栄えたアステカ王国を征服

1527年 ローマ略奪

1533年 フランシスコ・ピサロが新大陸の中のペルーを中心に栄えたインカ帝国を征服

1537年 ローマ教皇が「大教書(サブリミス・デウス)」を発表(インディオは自由な人間であると宣言し、彼らの奴隷化を非難、同時に平和的改宗化策を訴えた内容)

1539年 スペイン・サラマンカ大学神学部教授、フランシスコ・デ・ビトリアが特別講義(「インディオについて」「戦争法について」)を行ったが、そこで展開された思想は今日の国際法の基本となる考え方であり、ビトリアは国際法の父グロティウスの先駆者と位置づけられている)

1540年 スペイン国王カルロス一世に新大陸の実情を訴える(56歳)

1541年 スペイン皇太子フエリペ(インディアス問題を担当)に、後に『インディアスの破壊についての簡潔な報告』として刊行される草稿を手交

1542年 スペイン国王カルロス一世が「インディアス新法」を発布(「ブルゴス法」に反発した改革運動の成果物。 スペイン人と新大陸の先住民との健全な関係を規定するために作られた初めての法律で、新世界における最初の人道的な法律とされている)

「大教書」と「インディアス新法」とは、ラス・カサスの1514年の回心以降の活動が一応の成果を見たものといえる。しかしこの後、政財界、また教会の中からも揺り戻しの動きが加速

 

■ラス・カサスとインディアスに関連する年表 その3

1545年 ルネサンス期スペインの神学者・哲学者で当時屈指のアリストテレス学者として知られていた、フアン・ヒネス・デ・セプルベダが『第二のデモクラテス』の刊行許可を求める(異教徒のインディオから土地・自由・財産を奪うことは正当であると主張する内容)

1545年 現在のボリビア南部、ポトシーにて銀鉱山が発見される(1570年代中葉以降「ポトシ銀山時代」が顕現。16世紀末ポトシ市の人口は16万人に及び、メキシコ市をしのぐ新世界最大の都市となり、その莫大な銀の産出はヨーロッパに物価の騰貴(価格革命)をもたらした)

1547年 『第二のデモクラテス』出版阻止へ動き出す(63歳)

1550年 バリャドリッド論争(66歳) (『第二のデモクラテス』が刊行・公開されるのは350年近くを経た19世紀末(1892年)に)

1552年 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』が出版される

1554年 『インディアス誌』の執筆

1556年 『インディアス誌』を『インディアス史』と『インディアス文明誌』に二分

1556年 インディアスをテーマにした文書に対し検閲制度が適用される

1558年 『インディアス文明誌』ほぼ完成

1559年 『インディアス史』などの作品をサン・グレゴリオ神学院に、40年間門外不出を条件に寄贈

1566年 ローマ教皇に書簡を送り、新大陸の先住民インディオを野蛮でキリスト教を受け入れる能力に欠けると主張する人々は破門にすべしと訴えた

1566年 7月18日82歳で死去

『第二のデモクラテス』出版阻止こそ果たせたが、政財界・教会の言論の趨勢は急速に征服戦争の実態追認の方向へ、そしてインディアス問題の言論統制へと傾いていった

 


ラス・カサスの「普遍性」 https://society-zero.com/chienotane/archives/9569