プログラミング教育|EdTechPedia

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プログラミング教育とは

2012年改定の中学校「新学習指導要領・生きる力」。その技術家庭科目には「プログラムによる計測・制御」という項目が追加されプログラミング教育は2012年から実施されている。「ア コンピュータを利用した計測・制御の基本的な仕組みを知ること。イ 情報処理の手順を考え,簡単なプログラムが作成できること」。これがその内容。たとえば米国でオバマ大統領が「プログラミングを学ぶことはみなさんの未来にとって重要なだけではなく、アメリカの未来にとっても重要なのです」と、演説しているように(2013年12月9日にコンピュータサイエンス教育週間)、プログラミング教育は今や先進国共通の国家的課題となっている。

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読み書きそろばんプログラミング

たとえば19世紀に入るまで、生徒を年齢や能力で分け、一つの部屋に区切り、一斉に教授する「学級」は存在しなかった。教育の形、どうやって教えるか、そもそも何を教えるか、それは時代と風土によっていろいろな態様がありうる。21世紀のいま、プログラミングが読み書きそろばんと並ぶ教育科目になろうとしている。

プログラミングが読み書きそろばんと並ぶ教育科目に、といってもなかなか納得しにくいかもしれない。

しかしよく考えてみると、これまでの数千年の文字の歴史で、非専門家が文字を読み書きする時代が来るとは想像すらできなかった期間が長く続いた。文字は一部の特別な訓練を受けた人々だけが扱いうるものだった。グーテンベルクの活版印刷技術の発明から数えて約500年。そのインフラの上に先進国で読み書きが一般化したのはつい最近のことだ。

現代社会で文字を使いこなすのが当たり前になっているように、プログラミングは、話し、書き、(情報端末画面で)打ち、情報探索をし意思決定する、さらにコミュニケートして社会を形作っていく、道具のひとつ、そういう「当たり前」のひとつになっている未来が、もうすぐそこに来ている。

プログラミングが仕事の構造を変えている

こんにちホワイトカラーの仕事でエクセルやEmailを使うのは当たり前だ。そして近い将来、ホワイトカラーの仕事ではプログラミングの知識が必須になってくると言われている。しかしこの切実さがあまり理解されていない。

ICTが引き起こしている変化は社会と経済の構造を大きく揺さぶるものとなり、仕事そのもののあり方、職を得るための条件にすさまじいマグニチュードの影響をあたえようとしているのに。

コールセンターからの応答。たとえばテレショッピングで何かを購入するのにコールセンターに電話したり、購入した製品の取り扱いや不具合についてサポートセンターに電話したりした時に、電話口に出て来たオペレーターが流暢な日本語を話したとしても、そのオペレーターが日本国内のオフィスから応答しているのかどうかは、確かではないと言う現実がすでにある。さらにそれが人間ですらないかもしれない状況が目前に迫っている。

つまり、雇用を巡る「機械との競争」はあちこちで現実味を帯びた形ですでに始っている。

しかも19世紀に起きた「機械との競争」が腕力にかかわるものだったとすると、21世紀に起きる「機械との競争」はスマートマシン、人工知能を備えたコンピュータとの、知力にかかわる競争だ。

オフィスワークばかりか医師の病気に関する診察、弁護士の過去の裁判事例を縦覧しての争点抽出と反論準備にも及ぶとさえ言われている。

プログラミング教育の意義

だがスマートマシンの本源に立ち戻って考えた場合、スマートマシンとはコンピュータが制御する機械であり、誰か人間が、その制御プログラムを書いてはじめて存在していることに気づく。そうだとすると21世紀の雇用を巡る「機械との競争」への対処法とは、この制御プログラムを書く側に回ること、制御プログラムを書く仕事への就業を目指せということになる。

日本の明治維新以降の急速な西洋化、近代諸国へのキャッチアップは、江戸時代からの日本の識字率の高さに助けられてのものだった。200年前の文字と「読み書き」能力に対応するのが、現在のICTと「プログラミング」能力なのだ。

ここにオバマ大統領が、「プログラミングを学ぶことはみなさんの未来にとって重要なだけではなく、アメリカの未来にとっても重要なのです」とする理由が、存在しているといえる。


◇関連クリップ
●Computer Science Education Week http://csedweek.org/
●「<学級>の歴史学」柳 治男 著 | Kousyoublog http://kousyou.cc/archives/4497
19世紀に入るまで、生徒を年齢や能力で分け、一つの部屋に区切り、一斉に教授する「学級」は存在しなかった。すでに教えを受けた生徒をモニターとして、生徒を十人前後の斑に分けてそれぞれの斑ごとに教えさせるようにした、1798年のロンドンのJ・ランカスターの取り組みがそもそもの始まり(読み方、綴り方、計算において)。当時工場などで採用される分業制を教育に応用したもの。ただ教科の拡大ですぐに限界が露呈(地理、歴史、自然哲学、音楽、体育、宗教、道徳教育など)。そこで考案されたのがギャラリー方式と呼ばれる一斉教授法。机が階段状に並べられ、生徒数十人が正面の教師の方を向き、教師は全ての生徒を見渡すことが可能となる。また生徒同士も他の生徒の様子を見ながら学習を進めて行くことが可能となった。生徒間の相互作用と集団性が強調され、『集団編成原理として、年齢均質化を促す』こととなった。

●Scratchは子供たちに“正しい方法”でプログラミングを教えるツール http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/14/262522/041000147/
ポイントは、「興味があるモノを作り、それを他の人と共有する」。「Scratchプログラミングの目的はプログラマの育成ではない。すべての子供たちに、プログラミングの体験を通じて、創造的・体系的に思考する力や、仲間と協働する力を身につけてほしい。そのために、教育者が、正しい方向でプログラミングを教えることができるツールとしてScratchを開発した」。

●プログラミング教育を強化した国で何が起きているのか?世界の教育事情 http://bit.ly/1LD2sS5

知ってました?日本でもすでに2012年の新学習指導要領により、中学校の「技術・家庭」において、従来選択科目であった「プログラムと計測・制御」が必修科目となっているのを。

●コンピュータ科学は今や万人の学、普及にはイメージの改革が必要 http://jp.techcrunch.com/2014/09/25/20140924to-bridge-the-skills-gap-focus-on-improving-computer-sciences-image/

デジタル化に伴う社会の変化に教育が対応できていない。今日では、コンピュータと情報処理の基礎知識や、コンピュータプログラミングとデータ分析の初歩的知識や技能が、どの職場でも必要とされる、にもかかわらず、初等・中等教育が取り扱う範囲は小さい。また高等教育における専門家養成の需給はほとんど均衡状態から遠い。「低学年には、コンピュータそのものだけでなく、コラボレーションによる問題解決や、批判的な思考力、数学において現実的な問題を創造的に解く能力、科学と言葉によるアート、などの能力を涵養する必要がある」。

●Facebook元役員「プログラミングを学ぶのなら、生涯仕事に困らないことを私が保証しよう。」 http://lrandcom.com/facebook_former_executive_learning_programming_guarantee_life_time_work
プログラムを学ぶことがどんな未来につながるか、海外では今どんなことが起こっているかを俯瞰的に理解できる記事。

●「機械のスマート化」を怖がってはいけない~競争に負けない働き方とは http://college.nikkei.co.jp/article/30702917.html
「機械との競争」という事態への、「対処法」こそが重要。逃げ惑うのではなく。競争相手はスマートマシンと呼ばれるコンピュータ制御の機械。ならば、そのコンピュータ制御をする側に回る、コンピュータ制御のプログラムを書くスキルとキャリアと活かす人生モデルを目指すのが、常道であり、王道。恐れることはない。「プログラミングは、小説を書くのに似た作業」。

●“プログラミング教育必修化”の前に必要なこと http://bizzine.jp/article/detail/666?p=2
先生自身のITリテラシーの不足。まずここの改善が必要。