シャリーアの領域でも官僚化

ウラマー(法学者)は、現実には時の政治権力者の統治の正当性を擁護することが多かったが、理念的にはイスラーム信徒共同体(ウンマ)の統一性を担保するものとして、政治権力者と一線を画する社会集団であった。

そのなかで、オスマン帝国では、シェイフ・ル・イスラム(首席法学者)のポストが設けられ、かれを頂点としたウラマー(イスラーム法学者)* の序列化と官僚化が進められた。

それとともに、裁判官(カーディー)によって運営されるイスラーム法廷(マフカマ・シャルイーヤ)の仕事の行政化が進み、経済取引を含む民事の契約も、イスラーム法廷で登録されるようになった。

参考文献:
興亡の世界史 オスマン帝国500年の平和 (講談社学術文庫)』  林佳代子(講談社、2016年)
オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」 (講談社現代新書)』  鈴木董(講談社、1992年)

* ウラマーとはアラビア語の「知識ある者」(アーリム ‘ālim)の複数形。そこでいう「知識」とは、イスラーム諸学の知識を意味し、11世紀ごろからはマドラサ(神学校)を拠点に社会の指導者として活躍した。しかし、オスマン帝国がウラマーのトップに、「シャイヒュル・イスラム」(イスラームの長老)という最高官職を設け、文官つまり行政官僚機構に組み込んだことから、しだいに官僚化・保守化するようになった。

■関連知識カード/章説明他:
マドラサ


 

★この記事はiCardbook、『イスラーム世界の社会秩序 もうひとつの「市場と公正」 Vol.2 市場経済における「イスラームの道」(歴史編)』を構成している「知識カード」の一枚です。


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