イスラーム世界の社会秩序(加藤博) Vol.3|章説明 【基本概念編】

◎『イスラーム世界の社会秩序(加藤博) Vol.3』【基本概念編】の「章説明」を集めたブログ記事です。

『イスラーム世界の社会秩序 もうひとつの「市場と公正」
(加藤博))
Vol.3 基本概念・基礎用語編』

 

【基本概念編】

 

第1章 市場経済と外部経済

市場経済の根幹をなす市場のメカニズムは一つである。しかし、現実の歴史における市場経済は多様であった。それは、市場を運営するのは人間であり、彼あるいは彼女は、社会の一員として、時代と場所に制約されて行動するからである。

こう考えると、これまでの歴史において、時代と場所を異にする社会の数だけ、多様な市場経済が展開してきたということになる。資本主義も、イスラーム経済も、その一つである。

本章では、イスラーム経済を資本主義とは異なる経路で発展してきたことを議論する際、基本となる概念群を整理する。

第1節 外部経済としての「制度」

個人は、真空状態ではなく、具体的な自然、社会・文化環境のなかで、また他者と相互に影響しあいながら、経済行動を行なっている。その結果、市場が効率的な資源の配分をもたらさないこと(市場の失敗)は多い。

近年の経済学は、伝統的な仮説である個人の「自己利益追求」に加えて、この個人の経済活動に影響を与え、それを拘束さえする外部社会や個人間の相互依存関係を、明示的に取り入れることに努めることになった。制度学派である。

そこでは、初期条件、制度、経路依存性の三つを基本概念として、多系的な市場経済の発展経路について、啓発的な議論が展開されている。

第2節 経済を規制する時間と空間

経済を含む社会生活は、時間と空間、つまり時代と地域からの制約を受ける。それが、社会の独自な性格を作る。時間と空間による規制を考える時、物理的な時間と人間的な時間、物理的な空間と人間的な空間の違いを理解することは肝要である。

物理的な時間とは、時計で測れる客観的な時間であり、人間的な時間とは、社会関係のなかで展開する時間である。また、物理的な空間とは、メジャーで測れる客観的な空間であり、人間的な空間とは、社会生活のなかで認識される空間である。

個人と社会が影響を受けるのは、寿命という生物としての限界、人間の力では制御できない自然を除けば、人間的な時間であり、人間的な空間である。人間の営みを介しての時間と空間は融合する。地域は、歴史(人間的な時間)が積み重なった人間的な空間である。

■知識カードの例:経済発展と外部条件/経路依存性/ブローデルの「三層の時間論」/人間主義的空間論


イスラーム世界の社会秩序 もうひとつの「市場と公正」
(加藤博)
Vol.3 基本概念・基礎用語編』

派のかたも「アマゾンで検索」



 

 

第2章 イスラーム経済の外部経済

外部性とは、経済主体の行為がほかの経済主体の行動に影響を及ぼすことである。そして、外部経済とは、経済主体の行動が、対価を受けとることなく、ほかの経済主体に利益を与えることを、これに対して、外部不経済とは、ほかの経済主体に不利益を与えることを意味する。

経済学の制度学派は、この概念を、経済主体の意志とは関係なく、経済主体の行動に影響を与える外部条件にまで広げた。経済主体に利益を与える外部条件が外部経済、不利益を与える外部条件が外部不経済である。そして、経済主体が置かれた外部条件を、「制度」という言葉で呼んだ。つまり、外部経済は社会資本、社会インフラとも言い換えることができる概念である。

本章では、イスラーム経済の発展を保証した外部経済の議論を整理する。

第1節 イスラーム経済を支えた制度

第一巻でイスラームの経済ビジョンを整理し、第二巻でそれが制度化される過程として、イスラーム経済の歴史を描いた。

そこでは、「イスラーム経済を支えた制度」として法、貨幣、都市の三つを取り上げた。市場経済において、法は取引のルールを、貨幣は取引の手段を、そして都市は取引の場を保証するからである。

また、法、貨幣、都市は、「イスラーム経済を支えた制度」だけでなく、個人と社会をつなぎ、社会に秩序をもたらす装置としても機能した。

第2節 生態・立地環境

制度の性格に影響を与えたのは、経済学の制度学派が言うところの初期条件であった。そのなかでも、イスラーム経済に決定的な影響を与えたのは、生態系(自然環境)と地理的な立地条件であった。

本節では、水の希少性と砂漠の景観を特徴とする生態系、アジア・ヨーロッパ・アフリカ三大陸の結節点としての地理的立地がイスラーム経済に与えた影響を整理する。

第3節 商業とネットワーク外部性

中東イスラーム世界は人と物が頻繁に交流する、流動性の高い社会であったが、それを可能にしたのは、砂漠の開放性とともに、中東イスラーム世界がアジア、アフリカ、ヨーロッパの三大陸の結節点に位置していたことであった。

この地理的特徴は、それ自体は単なる偶然に過ぎないが、イスラーム経済を考えるとき、決定的な重要性をもっている。

第4節 宗教・文明

自然環境と地理的立地が人びとの経済行動において、所与の条件であることは自明である。それでは、宗教や文化はどうであろうか。それは通常、歴史のなかで人びとが営為によって後天的に獲得したものと考えられている。

しかし、経済行動を担う具体的な人びとからみた場合、それは、すでに在るものとして現れる。かれらは特定の時間と空間のなかで生まれるが、その後、幼児期以降受けるしつけや教育の内容をみずから選べるわけではない。この意味において、しつけや教育の背景となっている宗教や文化信念は所与の条件であり、初期条件である。

イスラーム世界では、市場経済の拡大をみた。とは言え、この世界が、イスラームの時代になって初めて市場経済の発展をみたわけではない。この地域は、古来、交易の世界であった。また、交易の拡大は、なにもイスラームの時代にのみみられたものではない。規模の違いはあれ、同じことは、ロマの時代でもモンゴルの時代にもみられた。

さらに、イスラームの時代において、エネルギー革命を引き起こすような、エコロジカルな環境や資源賦存状況のドラスティックな変化が生じたわけでもない。もしそれらに変化が生じたとしても、それは燃料や建築資材としてのレバノン杉の伐採とか水の不足とかの、経済にとって好ましからざる方向においてである。

つまり、イスラーム経済の飛躍的な発展をもたらしたもの、それは物質生活におけるハードな初期条件の変化よりも、文化的・精神的・心理的なソフトな初期条件の変化であったと考えられる。

■知識カードの例:和辻哲郎の「風土論」/梅棹忠夫の「生態史観」/中東は都市文明の発祥地:高度な都市社会/イスラーム世界はネットワク社会/ネットワーク社会の強み:ネットワク外部性/ネットワーク社会の弱み:高い流動性と疫病


イスラーム世界の社会秩序 もうひとつの「市場と公正」
(加藤博)
Vol.3 基本概念・基礎用語編』

派のかたも「アマゾンで検索」



 

 

第3章 多系的経済発展経路の模索

本書が目指すのは、多系的経済発展経路の模索である。もちろん、これまでにも、多くの思想家たちが、多系的経済発展について思索を積み重ねてきた。ここでは、それぞれが言及していないが、合い通じる経済観を持っていた三人の思想家の学説を紹介し比較することによって、社会経済学的な観点から、本書での議論の基本的概念を整理する。三人の思想家とは、経済人類学者カール・ポランニー(1886-1964)、歴史家フェルナン・ブローデル(1902-1985)、そして経済学者ジョン・ヒックス(1904-1989)である。

この三人の共通点は、市場に注目し、市場経済の形成と発展には、非市場的な制度の存在が不可欠であると考えるところであり、その結果、彼らの議論には、近代資本主義に代わりえる、あるいは代わりえた、別の市場経済発展の道を考える際に参考となる、多くの示唆が含まれている。

たとえば、三人の思想家が使っている鍵概念をとりあげてみよう。ポランニーの経済論については第一巻で言及したが、そのなかで、彼が主張する「実質的な経済学」の分析道具として、1)互酬、2)再分配、3)交換の三つの「経済統合」類型を指摘した。

この三つの概念は、ブローデルにおける、1)物質文明、2)資本主義―政治との結びつきとの意味合いにおいて―、3)市場経済に、ヒックスにおける1)慣習経済、2)指令経済、3)市場経済にほぼ相当する。

以下、第一巻と第二巻の記述の重複を極力避けつつ、三人の思想家の経済論を比較、検討する中で、本書の主張を明確に提示しよう。

第1節 ポランニーの経済学:社会に埋め込まれた経済

ポランニーの経済論におけるキーワードは、「社会に埋め込まれた経済」である。本節では、ポランニーの「社会に埋め込まれた経済」論に啓発されて、イスラーム経済の特徴を論じる。

ポランニーは、近代経済学を「形式的な」経済学として批判した。「形式的な」経済学とは、社会から独立した市場経済を価格メカニズムとして理論化し、その展開のなかで経済社会を分析する経済学である。

これに対して、ポランニーは、「実体的な」経済学を対峙させる。「実体的な」経済学とは、「社会に埋め込まれた経済」をも含む、人間と環境との間の制度化された相互作用によって生活の糧を得るプロセスを分析する経済学である。

第2節 ブローデルの経済論:市場経済と資本主義の峻別

ブローデルの経済論が展開されているのは、『物質文明・経済・資本主義』(翻訳1985、1986/88、1995/99、みすず書房)である。そのなかで、ブローデルは人間の経済生活を、物質文明、市場経済、資本主義の三層から構成されると考えた。

ブローデルの経済論の特徴は、ポランニーと同じく、市場経済を、時空を超えた市場の価格メカニズムと考えるが、ポランニーとは異なり、市場経済と資本主義を峻別し、その違いを強調することである。

そこには、「市場経済と資本主義はどういう経済システムであるのか」、「市場経済と資本主義とは同じものであるか違うものであるか」、そして「我々はそのなかで生活している資本主義とどのように付き合っていくべきか」について、示唆に富む議論がみられる。

第3節 ヒックスの経済史論:市場経済の形成と発展

ポランニーもブローデルも、市場を、「時と場所に関係なく存在する、需要と供給の間で機械的に均衡点としての価格・賃金が定まるプライス・メカニズム」として捉えた。これに対して、ヒックスは、市場を、歴史的に形成される一つの制度として捉えた。

この点が、ポランニーとブローデルとは異なる、ヒックス経済論の最大の特徴である。そして、このように、ヒックスをして市場を実証的に観察することを可能にさせたのは、彼のイギリス知識人に顕著な経験主義であり、歴史に対する鋭いセンスである。

■知識カードの例:ポランニーの経済観/「経済統合」の三類型/岩井克人の市場経済観/差異とポスト資本主義/近代資本主義経済の形成/国民国家と資本主義経済

 

 

『イスラーム世界の社会秩序 もうひとつの「市場と公正」
(加藤博))
Vol.3 基本概念・基礎用語編』

Kindle本(電子書籍)はコチラから(Kindleにはハイライト(線が引ける)/メモ(書き込み)/辞書/ハイライト集めて表示する、といった機能があります)

【紙派のかたはこちら(紙版も「アマゾンで検索」)】