中村哲の経験 喜捨(ザカート)の真意|知活人(chiikibito)

この記事は「知活人(chiikibito)のための「仮想図書館|iCardbookLibrary」に参加しているコミュニティへ提供した、[私のお気に入り知識カード]をブログ公開するものです。
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■[私のお気に入り知識カード]=012 中村哲の経験 喜捨(ザカート)の真意

https://society-zero.com/icard/895032

喜捨(ザカート)の真意

(前後のカードは「長岡慎介のiCardbook」の下巻から読めますよ https://bit.ly/2QEdEgE

 

◎助け合いと負い目について◎

新型コロナの感染拡大をとめるため緊急事態宣言が発令されると、休業要請がさまざまな業種を対象に出されます。しかし生活必需品の買い物を政府や自治体が制限することはありません。このような生活必需品の調達を、現代社会の私たちは「交換(商品とお金の)」を通して行っています。

他方例えば、結婚式の祝儀や葬式の香典のように暗黙の「お返し」がそれに伴うため、結果として商品が流通する現象、「互酬」も現代にはあります。贈与が「互酬」の代表格です。

贈与が、「交換」によらない商品流通を実現するのは「負い目」を感じるから、です。この「負い目」はふたつに因数分解されます。

すなわち、有形無形にかかわらず、

イ.それを受取ったら、渡した相手にその返礼をしなければならない
ロ.同じ程度のものを返さなければならない

のふたつです。

同じ程度の贈与をすることで負い目を消去、「我々は対等である」ということを確認し合い、「平等」が社会に担保されます。

友だちに1000円の誕生日プレゼントをもらったら、相手の誕生日に同等のものを返す。しかしそこで、1万円のものを返すとちょっとお互いの人間関係に微妙な亀裂が生じかねません。これは「負い目」が残ってしまうからです。

贈与をはじめ、本来困ったときにお互いに助け合うのが人間関係や社会の基本です。ところが少しでも負い目のバランスが崩れるとうまくいかなくなる。かえって社会秩序の不安定化要因になりえます

現代日本で官民の間の「接待」が問題になるのも、「負い目」が組織の腐敗を招くからです。近代以前の中国にあった「朝貢」は片方が贈り物をし見返りに他方が庇護を与えることで、互酬で両国の安定的な外交関係を維持しますが、他方従属関係が固定されることになります。

それで西欧近代は社会の中に負い目が伴う「互酬」領域を縮小させようとしたのですね。代わりに「交換」の領域を最大限拡張し、そこから出てくる不都合は、国民国家という装置を創案し国家が「再配分」を担うことで全体最適を目指した、と言えます。

ところがイスラームはこれと違う道を選びました。むしろ贈与から「負い目」をそぐ方法を編み出したうえで、贈与(イスラームではザカート(喜捨)と呼びます)による再配分で社会秩序を構成することを志向したのです。その際使った手段が、神との契約、神との間で贈与を行う、という斬新なアイデアでした。

神との直接契約関係あるいは神への贈与というアイデアで、イを粉砕しロを無効化、もって平等な社会と福祉の実現を保証しようとしたのでした(011 神との直接契約関係と部族社会 https://society-zero.com/icard/553316 )。人間同士の助け合いから負い目や従属関係の発生を排除しながら。

下巻の058~061に登場するワクフの話でさらに上述の理解が進むでしょうか(058 ワクフへの注目 https://society-zero.com/icard/866447 )。

ここまでを象徴するエピソードとして「012 中村哲の経験 喜捨(ザカート)の真意 」をあらためて眺めてみてください。私はこの「知識カード」がお気に入りです。

 


『資本主義の未来と現代イスラーム経済(下)(長岡慎介)』



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