無駄だらけの教育システム

村上龍事務所が発行するメルマガ、「JMM [Japan Mail Media](サイト:http://ryumurakami.com/jmm/ )」。そこでの人気連載が在米国の作家、冷泉彰彦氏による『from 911/USAレポート』です。

2015年12月26日発行のJMMに掲載された、「日本病への診断書」(『from 911/USAレポート』第706回)から、冷泉氏、JMMさまのご許諾を得て、「(6)無駄だらけの教育システム」を転載いたします。

日本の教育の未来に関心をお持ちの方々へ、2016年の年頭のご参考に供します。

ちなみに全体の章立ては次のようになっています。

(1)コミュニケーションと言語の特殊性
(2)上下関係のヒエラルキー
(3)東京一極集中は何故ダメなのか?
(4)産業構造が高付加価値型になっていない
(5)苦手でも金融をやるしかない
(6)無駄だらけの教育システム


無駄だらけの教育システム

もしかしたら、「日本病」の最大の問題は教育かもしれません。とにかく、中学なら中学、高校なら高校の教育内容について「その内容それ自体が若者の知性を鍛え、知識として蓄積される」ようになっていないのです。中等教育というものは、それ自体の意味もなければ、高等教育への接続にもなっていない、そうではなくて、高等教育機関である大学には「入学試験」というものがあって、その試験に合格することが下位の学校の唯一のテーマとなっているのです。

そこで高校でその受験勉強を教えてくれれば良いのですが、多くの、特に都市部の高校では十分な指導ができないので、塾や受験産業が必要とされるという奇怪な状況となっています。つまり中等教育までの段階では、「教わったことはそれ自体に意味はなく、次の段階の学校の入試に受かるかどうかという一点のみの関心と利害が学習の目的と動機」になっていて、しかもその目標達成には「学校以外の塾に行かねばならない」という非効率になっているのです。

更に大学での履修内容も、理系を除いては「企業や官庁で必要とされているスキルや知識」とは異なっており、就職後に「学び直し」を強制されるのです。その一方で、大学以下の学習内容は必ずしも高度ではありません。高校の時点、すなわち大学入試の出題範囲は狭く、微分方程式もなければ、関数電卓を使った高度な数値の操作も要求されません。

一部のエリート候補向けとされる「中学入試」では、xやyを使った方程式も禁止されるという馬鹿げた規制の元での「頭の体操」を強いられるという奇怪な現象すらあります。要するに形式的で、正確性ばかりを要求されるが、内容はちっとも高度ではないというバカバカしい教育が「受験地獄」として、意味のない労力の浪費を若者に強いており、しかもそれは社会に出たら「使えない」という無駄なことになっているわけです。その壮大な無駄の積み重ねが日本の競争力喪失の大きな理由の一つだと思います。

私は先日、日本に一時帰国した折に、東京の水道橋駅で大勢の女子高校生が電車に乗ってくるのに遭遇しました。制服と校章から、東京大学の多くの合格者を出している日本版の「プレップスクール」と分かりましたが、彼女らが電車の中で一心不乱になって見ているのが、「文科省検定済みの生物2の教科書」だったのです。私はそのことに愕然としました。

生物2を履修しているというのは、恐らくは理系志望で東京大学の理科科類に入学していく女性たちなのでしょうが、16歳から17歳の柔軟な頭脳の時期に、最先端の学術論文や、サイエンス誌、あるいは問題提起型の科学哲学や科学と社会の関係の専門書などではなく「生物2」の教科書を必死になって勉強している、それは定期試験のためなのでしょうが、そのレベルの低さ、そして何も言わずに暗記をしているという作業の低付加価値に愕然としたのです。そんなことをやっている場合ではない、多くのアジアや欧米の同年代の女性たちは、仮に基礎能力が優秀であれば、もっと高度なことをやっているのです。

日本の教育システムが時代遅れであり、しかも無駄だらけで「易しすぎる」ということ、そのことも今後の国際競争力維持においては問題視していかねばなりません。


全体文章はこちからから。

2016-01-02
2016-01-03