オープンアクセスのパラドックス 【セミナー備忘録】(4)

(4)出版社による調略

ハイブリッドというトロイの木馬

ところがこの難問を梃に、むしろ商業出版社は「オープンアクセス」運動を逆手にとる戦略に打って出た。「障壁なきアクセスのうち、アクセス可能性、アクセスの対象を広げることについてはお手伝いしましょう。ただ商業出版なんですから、有償の点はご容赦くださいね」、といいながら。

掲載料(Article Processing Charge:APC)を払って論文掲載を申し出る方法でも論文を受け付けましょう。その論文を従来型モデルの論文と同居、混載させます。そりゃあ、権威あるジャーナルに載ることで学者、研究者として箔もつきますし、引用されやすくなりますからね。この新しいジャーナルはハイブリッドジャーナルと呼びましょう」。

こうなると本来大学図書館経費の削減策であったはずの意図が反転して、出版社の新たな収益源としてのハイブリッドジャーナルとなる(むろん学術コミュニティはそれは二重取りだといって抗議し、Offsetting(相殺)契約という形で抵抗はしている)。

そして次の新たな収益源が「二番手ジャーナル」。

権威あるジャーナルは査読過程での棄却論文が多数出てくる。例えば大手出版社が所有するインパクトファクターの高い有名誌は、掲載される率が非常に低く採択率が 10%未満の雑誌もある。研究者は有名誌に投稿して不採択になると、次なる投稿先を探さなくてはならない。

折角苦労して書かれた論文が世の中に出ない、つまりWeb世界でアクセスの対象とならないのはもったいないですね、ということで。査読の審査のレベルを少し下げる「二番手ジャーナル」を出版社がつくり始めた。

カスケードモデルとメガジャーナル

最後には、査読の定義、中身を次のように書き換える「メガジャーナル」まで出てきた。

「ただし査読の際、科学的な健全性のみを審査します。つまり、その論文は厳格であるか、倫理上適切なものか、報告の仕方は適切か、データを基に結論が導かれているかなど、極めて客観的な視点から審査するのです。(つまり)科学論文として妥当か、基準を満たしているか、文献として使えるかということのみを判断します。(逆に)当誌では、その論文の影響力の大きさや、どの程度の進歩につながるか、その研究の重要性などは問いません。そうした問いは非常に主観的なもので、出版前でなく出版後にこそ適切に評価できると考えているからです」。
(●PLoS ONE と OA メガジャーナルの興隆 http://www.nii.ac.jp/sparc/event/2011/pdf/5/doc3_binfield.pdf

査読の軽量化と、それに伴う迅速化。学術的価値の評価は読者に委ねる。この方針が、たとえばPLoS ONEでは年間14,000 報(年間の平日日数を約 250日として単純に割り算してみると、毎日50 報以上)という掲載論文数を支えることとなった。

査読のスリム化と大量処理によるスケールメリットで、出版社には多額の収益が転がり込んでくる仕掛けだ。「オープンアクセス」運動の手伝いをすることによって。

こうしたいわゆるトップジャーナルからオープンメガジャーナルへの流れはカスケードモデルの収益構造と言われている。
・カスケードモデル
(●電子ジャーナルの価格高騰とオープン化が大学図書館に与える影響 http://www.nira.or.jp/pdf/1502report_04.pdf
カスケードモデル