2026年5月8日、日本電子出版協会(JEPA)で服部桂氏が講演を行いました。タイトルは「AIの次に来るもの」。
服部 桂 氏:AIの次に来るもの https://www.jepa.or.jp/sem/20260508/
講演映像 https://youtube.com/live/SDPmmpQOF-c
生成AIの本質は膨大なデータを解析して得られる「パターンマッチング」がその本質で、巷間言われているような「知性」とは別物だと考えられます。服部桂氏の話はその点を踏まえ、冷静な評価をしていると感じました。
以下は、その内容を「備忘録」として手控えたものです。
1. AI万能主義への違和感と歴史的教訓
現在、AIは「東大入試でトップクラスの成績を収める」「新聞記事を自動生成するなど、従来の仕事のあり方を変える可能性がある」といったニュースが世を賑わせ、あたかも人類を救う、あるいは滅ぼす全能の神のように語られています。しかし、服部氏はこうした「AIフィーバー」に対し、歴史というレンズを通して冷静に対応することを推奨します。
過去、テレビ、自動車、電話、インターネットといった画期的な技術が登場した際も、開発者や当時の専門家は「それが社会をどう変えるか」を正確に予測することはできませんでした。例えば、電話は当初「コンサートの放送」に使われると考えられ、インターネットは軍事的な分散ネットワークとして設計されました。しかし、実際にそれらを「SNS」や「ECサイト」といった形に発展させたのは、技術そのものではなく、それを使った人間たちの「思いも寄らない行動」でした。AIも同様に、現在の予測を越えた、全く異なる方向へ進化する可能性を秘めています。
2. AIの正体:論理の極致としての「予測機械」
服部氏は、現在の生成AIの本質を「膨大なデータに基づく確率的予測の最適化(いわゆるパターンマッチング)」と位置づけます。AIは、過去のデータから統計的にもっともらしい次の語や構造を生成する能力に優れています。
AIが得意なこと: 確立されたルールやデータに基づく論理的思考、翻訳、要約、定型的な記事作成。
AIができないこと: 「身体性」を伴う体験、全く新しい価値観の創造、データの外側にある「文脈」や「真実」の判断。
AIは「論理」の世界では人間を凌駕しますが、人間が生きている「現実の世界(身体的な実感やカオスを伴う場)」を理解しているわけではありません。AIが作成した記事に「ファクト」の保証がない(ハルシネーション)のは、AIが意味を理解しているのではなく、単に確率的に文字を並べているに過ぎないからです。
3. 「AIの次に来るもの」とは何か
講演タイトルにある「AIの次」をみて、「お、次って何?」と想像した視聴者がいたかもしれませんが、実は、新たな技術の登場を指しているのではありません。 服部氏は、AIという“論理の極限まで発達した道具”を使いこなした先に、人間が再び向き合うべき知性の領域があると述べます。
AIが論理的な作業(事務、翻訳、プログラミング、定型取材)を肩代わりすることで、人間は「自分が何を知らないのか」「何を美しいと感じるのか」「社会に何が必要なのか」という、より高度で根源的な問いに向き合う余裕を持つことになります。AIに全てを委ねるのではなく、AIができない「意味の付与」や「責任の引き受け」を行うことこそが、ポストAI時代の知の技法であると説きます。
結論:道具としてのAIと「人間性」の再発見
服部氏は、AIを「エンジンの仕組みは知らないが、ドライブを楽しむことができる自動車」に例えます。道具として存分に活用しつつも、その論理的な限界(データの外側には出られないこと)を常に意識しておくことが重要です。
AIが導き出す「正解」の中に埋没するのではなく、あえてAIが「間違い」とみなすようなノイズや身体的な感覚を大切にすること。AIに騙されないためには、AIを神格化せず、その仕組みの限界を知り、自分自身の感覚で世界を評価する視点を持つこと。それこそが、AIの次に来る「人間とテクノロジーの真の共生」への道であると結論づけています。







