『21世紀の資本』を一言でいうと


(出典: http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43114

『21世紀の資本』は一言でいうと、著者ピケティがその師匠筋、先輩にあたるクズネッツの教えに忠実に研究を続けたところ、師匠の業績(正確には、世間がそう言い立てたもので、クズネッツ自身は「仮説」を提示したのみだったのだが)を修正する結果が出てきた。そのことを報告した作品だ。

自分の給与明細とテレビのニュースからわかる日本の社会情勢との間に、なんとなく違和感を感じる人は手に取ってみるといい本。

「みんながうっすらとわかっていて腹立たしく感じていたことを、データできっちり指摘したことが新しい(石田衣良)」。「歴史的な描写や小説からの引用も多く、経済学に対する特別な専門知識は必要ありません(大竹文雄)。
(出典:5940円のピケティ本、誰が読んでいるのか?

1.先輩の教えに忠実なピケティ

クズネッツは1901年帝国ロシアに産まれた。若くして、ボリシェヴィキ支配下のウクライナ・社会主義ソヴィエト共和国において統計局長を務めた。しかしその後1922年、アメリカに移住、帰化し、1926年にコロンビア大学で博士号を取得。その後ペンシルベニア大学、ジョンズ・ホプキンズ大学、ハーバード大学教授を歴任。1971 年ハーバード在籍中に 、ノーベル経済学賞を受賞した。

ノーベル経済学賞は、「経済および社会の成長に関する構造および過程を深く洞察するための経済成長に関する理論を実証的手法を用いて構築した功績」に対して与えられたもの。「理論を実証的手法を用いて」とは経済時系列データを収集、整備しそれを拠り所に、新しい特徴を発見し、それを「仮説」として理論化していった点を指す。

具体的にはアメリカ国民所得計算のデータを収集、分析するなどの研究から、経済成長に関する一連の著書を公刊した。これらの本の中でクズネッツは、(経済成長に伴い一般的には所得格差が増加するのに対し)先進国では経済成長に伴い所得格差が減少することを「仮説」として示した。

この「経済成長に伴い所得格差が減少する」という特徴の発見は、「逆U字型曲線」という形に要約され、マスコミは「トリクルダウン」という用語で社会に広めていった。まるでそれが物理的ルールでもあるかのように。この結果20世紀は、「格差(=社会問題)を解消しようとするなら、経済(=GDP増大、経済成長)を重視せよ」という命題が広く流布することになった。

日本の安倍政権が唱える「成長の三本の矢」はまさに、20世紀に喧伝された「トリクルダウン」の発想に基づいている、と言えるだろう。

ただし実は、クズネッツ自身この「仮説」が5%の史実と、95%の推察に基づいたもので、その幾分かは希望的観測に基づくものであるとし、この仮説の検証を次世代の研究者の手に委ねていた。

そしてとうとう21世紀になり、ついにその後継者たる研究者が現れた、それがピケティなのだ。

クズネッツの研究は一つの国(アメリカ)の、35年間(1913年~1948年)のデータしか扱っていなかった。

これに対しピケティがやったことは、クズネッツに倣いまず時系列を前後に横に伸ばし(約200年(一部は数千年))、さらに縦に同時代の国の数を増やした(米国、英国、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、オーストラリア、日本、イタリアさらにスウェーデンなど22か国)ことだ。

2.トリクルダウンは間違っていた

ピケティが先輩であるクズネッツの研究手法を踏襲し、データを横と縦に拡充した結果でてきた結論はしかし、クズネッツの仮説(「逆U字型曲線」)を否定するものとなった。

A:人類史の中で、経済成長率は資産収益率を上回ったことがない

・資本の運動を野放図にしていると、経済成長率は資産収益率を上回ることはない。国民国家の政府が社会政策により、これを是正する措置を取らない限り、格差はなくならない。

・つまり、18世紀のバルザックの指摘は正しかった。バルザックが小説『ゴリオ爺さん』で活写した通り、資産家は資産が産む富でさらに富んでいくが、資産を持たぬ一般市民が汗水たらして仕事をしても、その経済成長は資産家が富を増やすテンポにいつまでたってもかなわない。格差は拡大の一途だ。これでは不満が横溢し、安定した社会は訪れない。

B:クズネッツが収集したデータは、たまたま経済成長が優勢でかつ格差が縮小した時期だった

・2つの世界大戦の時期、格差が小さくなったのは「資産」が毀損、減少したから。また戦時ゆえに政策で富裕層に高い税率を課すことが許容され、それらには格差を是正する効果があった。

・戦後のある時期まで格差が小さい状態で推移したのは、人口の急速な増加と技術革新のおかげで所得が大きく伸びる一方、政策で所得の再配分を行ったから。

つまり、戦争といった異常な事態がない限り、社会問題(=格差)を経済成長で修正することはできないとし、限定的なデータから出てきた20世紀の常識(=トリクルダウン)をより広範なデータで覆して見せたのだ。

3.税は社会正義のために使え(成長のために使うな)

そこでピケティは社会問題を経済問題の下に置く(例:トリクルダウン概念を拠り所にした「成長の三本の矢」)のではなく、社会問題にこそ、政府は政策の優先順位を置くべきだ、と主張することになる。

成長を具体化するための税制度、たとえば資本がより効率的に成果を出せるよう取り計らう「安倍政権の成長戦略」は愚の骨頂。むしろ個々人がその才能、能力を開花させることを妨げる障害を取り除いたり、「努力に対する対価」以上のものを報酬として得ているものに対し、高率の税を課しこれを社会に還元する措置(オバマ大統領の2015年1月の予算教書がその典型的なもの)が、国家がなすべき税を使った施策だということになる。
(この趣旨は『21世紀の資本』日本語版 P500~503、P535~538 に詳しい)

これは2014年のOECD(Organisation for Economic Co-operation and Development:経済協力開発機構)の報告とも平仄が一致する所論だ。

OECDは所得格差は経済成長を損ない、むしろ所得格差を是正すれば経済成長は活性化されるとの分析を発表した(特集:格差と成長 )。これまでは一般的に成長促進と格差対策は一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないトレードオフ関係にあるとされてきた。しかしOECDはこの見方に終止符を打つと宣言し、「格差の抑制や逆転を促す政策は、社会の公平化に繋がるばかりでなく、富裕化にも繋がり得る」としたのだ。

ちなみに『21世紀の資本』やOECDレポートのこの発想は20世紀の「福祉国家」というアイデアより、「社会国家」という用語に近い。例えば下記のような諸富徹京大教授の考えと通底するものがある。

「人への投資は日本の生産性を高めます。これからの経済成長は、製造業の生産拠点としての整備ではなく、いかに質の高いサービスを生み出す人を育てられるかにかかっているからです。人的資本が鍵です。人に投資せずに、経済成長はあり得ない。人への投資を重視する社会的投資国家への転換をめざすべき(出典:「税に思想はあるか」 諸富徹  )

また同じく京都大学の廣井良典(こころの未来研究センター教授)氏が訴えている「成長依存からの脱却(=定常型経済論)」ともつながっている。

「成長」そのものを一旦懐疑の対象とする、廣井良典の最新刊。「カーツワイルのいう「特異点」とはむしろ逆の意味で、私たちの生きる時代が人類史の中でもかなり特異な、つまり”成長・拡大から成熟・定常化”への大きな移行期であることが、ひとつのポジティブな可能性ないし希望として浮上してくる(出典:【読書感想】ポスト資本主義――科学・人間・社会の未来  )。