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ピケティ勉強会(4) 実は、ピケティはこうも言っている。

4.実は、ピケティはこうも言っている。

4-1:マルクスは読んでいない

昨年、2014年5月に米国で英語版が出版され、それを日本で読んだ研究者、編集者が「21世紀の資本論」とタイトルを訳して論評を載せ、マルクスの『資本論』と対比させるような議論がさかんに展開された。日本語訳が出た、2015年の今でも、その状況は変わっていない。

しかし、いくつかのインタビュー記事で彼は、「読んでいない」と明言している。

「マルクスとはまったく違う。彼の資本論(『Das Kapital』)は難解きわまりなく、私は真面目に読んだことがない。まったく彼の影響を受けていない」
(●ピケティ『21世紀の資本論』はなぜ論争を呼んでいるのか http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20140519/397924/ )

またたとえば、こんなやりとりで。

インタビューアー:マルクスの影響については? いつごろから読み始めたのですか?
ピケティ:マルクスですか? 一度も読んだことはないです。きちんと読もうとした人がいるのかな。(略)
インタビューアー:でもご本、特にタイトルは、マルクスへの敬意が込められているのでは?
ピケティ:とんでもない、全然! 大きな違いは、私の本が資本の歴史を扱っていることです。マルクスの本にはデータがない。

このインタビュー記事のタイトルはしかも、「マルクスなんてどうでもいい」なのだ。
(●現代思想 2015年1月臨時増刊号 ◎ピケティ 『21世紀の資本』を読む -格差と貧困の新理論)

逆に、日本のマスコミの論調はどちらかというと、グズネッツに対しピケティが反旗を翻したかのような書き方、ないしニュアンスがあるがこれも違う。

むしろ彼はクズネッツの正当なる継承者だったがゆえに、この話題の書籍をものにできたのだ、と言える(後述)。

またピケティが、マルクスだけでなく、その後の20世紀の経済学に対する批判的視点を持っていることは、別の機会に記述したいが、とにもかくにも訳書を出したみすず書房が本のタイトルを、『21世紀の資本論』とせずに『21世紀の資本』としたのには、だから理由があったのだ。

 

4-2:不平等、格差が絶対いけないとは言っていない。

不平等や資本主義をそれ自体として告発することに、私は関心がない。次のことを踏まえれば尚更である。社会的不平等はそれが正当でありさえすれば、つまり、『人権と市民の権利宣言』の第一条が言明しているように「公益性に則って正当化される」のでありさえすれば、それ自体として何ら問題ない。
(同様の趣旨が『21世紀の資本』日本語版 P499 )

不平等や私有財産それ自体が悪いのではない。資本主義のポジティブな力は、公共の利益のために利用すべきだ。
(●「格差の現実を直視せよ」 週刊東洋経済2014年7月26日号)

 

『正義論』

21世紀の資本』でピケティは、『人権と市民の権利宣言(いわゆる、「フランス人権宣言」)』に出てくるこの原理がジョン・ロールズの『正義論』が唱える「格差原理」や、アマルティア・センがいうところの正義論のアイデアとつらなっていると指摘している(第十二章)。ただ『21世紀の資本』での扱いは、ジョン・ロールズなどの名前が登場する程度。それ以上深い議論はしていない。たぶんフランス人にとってあまりにあたりまえすぎることだからだったのであろうと推測される。

三色旗の旗のもとに集うフランス人にとって、「フランス人権宣言」にかかれている、「人は権利において自由と平等なもとして生まれ、存在する。社会的な差異・区別は社会共通利益に基づく限りにおてのみ成立しうる」、はコモンセンスだ。

つまり彼は、不平等、格差それ自体をいけないといっているのではない。

メリトクラシー的価値観

「資本主義は、(その運動を野放図にしておくと:筆者補足)民主主義社会がその基盤であるメリトクラシー的価値観を根元から掘り崩すような、恣意的な擁護しえない不平等を自動的に生み出す」がゆえに、危険だ、と言っているだけに過ぎない。

「資産の不平等は能力に応じて報酬を受けるという能力主義の理想とは程遠いレベルにまで拡大するおそれがある。」
(●「格差の現実を直視せよ」 週刊東洋経済2014年7月26日号)

ここでメリトクラシーを通常日本で訳される「能力主義」「実力主義」「成果主義」の意味で理解すると彼の真意がわからなくなる。

「成果主義」は結果を出したものにそれ相応の対価を与え、結果がでないものにはそれなりの対価を与えるのが正しいことだ、といった意味で日本では認識されている、といって言いだろう。

「年功序列主義的人事制度」から「成果主義的人事制度」へ、といった文脈で語られるこの概念は、しかしやってみたがとんでもないことになった、のが日本の90年代の反省だった。
(『内側から見た富士通 「成果主義」の崩壊』)

また海外でメリトクラシーをこういった意味内容で使うのは、どちらかというとアングロサクソン系だ。

たとえば銀行や証券会社の頭取、社長が高額な報酬を得るのは、結果を出しているのだから当然だというのが今の米国のひとつの経済界主流派のコモンセンスになっている。

これに対しピケティは、「近年における経営総報酬の急速な上昇は、経営層が潜在的にもたらしうる生産性向上とはほとんど関係がないことを見出した。その結果、報酬の変化はその才能に対する評価というよりは、むしろ「運」とより結びついている」、としている。
(●現代思想 2015年1月臨時増刊号 ◎ピケティ 『21世紀の資本』を読む -格差と貧困の新理論)
(同様の趣旨が『21世紀の資本』日本語版 P343~349 )

むしろ彼が言う「メリトクラシー的価値観」は、旧約聖書の「マタイによる福音書」に登場する「タレント」の逸話をベースにした意味内容で使われている。

「タレントの逸話」

「マタイによる福音書」第二十五章十四節から三十節には、通貨「タラントン」をもらった召使の話、寓話が出てくる。

主人が旅に出る前、召使三人にお金を与える。Aには5タラントン、Bには2タラントン、Cには1タラントン。

主人が旅から帰った時、Aは5タラントンを商売で10タラントンに増やしたことを告げ主人に返した。Bも2タラントンを4タラントンに増やしたと言い、主人に返した。しかしCは1タラントンを地中に埋め大事に保管していたと説明し、1タラントンを返した。

これを聞いた主人はAとBを褒め、Cを貶した。

「タラントン」はのちに「タレント(能力)」となる言葉だが、この寓話は次のように解釈されている(キリスト教世界では様々な論争があるようではあるが)。

・世の中は理不尽である(どういう才能、能力を持って生まれてくるかについて、決して平等などということはない=ABC三人に与えられた通貨の数はばらばらだった)。
・人はこの世に生まれた以上、その持てる才能、能力を使って新しい価値を生むよう努力すべきだ(なにも産まなかった、ただ大事に保管していたCを主人は責めた)。
・しかしその努力を、努力の「結果(の数値)」で判断してはならない。努力の程度で判断すべきだ(5タラントを作ったA(=2倍にした)と2タラントを作ったB(=2倍にした))を同程度に主人は褒めた。AのほうがBより優れている、とはしなかった。またそのやりかたについて主人は、何のコメントもしていない)。

「タレントの逸話」と「フランス人権宣言」

この寓話とフランス人権宣言はこうつながる。

「人は権利において自由と平等なものとして生まれ、存在する」

どういう才能、能力を持って生まれてくるかについて、決して平等などということはない。だが、かかる理不尽な不平等を出発点にしながら、与えられた条件のもと自らの人生を豊かなものしていく権利は、生まれながらにすべての人に平等に与えられている。どういうやりかたでそれを成し遂げるか、何人も指図はできない。

「社会的な差異・区別は社会共通利益に基づく限りにおてのみ成立しうる」

各人の努力の結果がばらばらでも(Aは10、Bは4)、そこへ至る努力をサポートしている限りその社会では、正義が行われているといっていい。

つまり「努力に対する対価」を適切に与えるのがメリトクラシー(日本では実力主義、能力主義と訳される)の原義。また努力が報われる社会こそが真に「平等な社会」なのであって、絶対的平等(マルクスは結果として、このような社会主義的世界観に対し思想的基盤を提供してしまったし、その試みは人間社会にはなじまず蹉跌した=社会主義国家、ソ連の崩壊)を実現することが彼の本意なのではない。

 

4-3:税は社会正義のために使え(成長のために使うな)

3.および4-2を踏まえれば、税制度で国家が何をなすべきかが見えてくる。

成長を具体化するための税制度、たとえば資本がより効率的に成果を出せるよう取り計らう「安倍政権の成長戦略」は愚の骨頂。むしろ個々人がその才能、能力を開花させることを妨げる障害を取り除いたり、「努力に対する対価」以上のものを報酬として得ているものに対し、高率の税を課しこれを社会に還元する措置(オバマ大統領の2015年1月の予算教書)が、社会国家がなすべき税を使った施策だということになる。
(この趣旨が『21世紀の資本』日本語版 P500~503、P535~538 )

20世紀に喧伝された「福祉国家(どちらかというと、結果平等を実現することや、可哀想な人を救うというニュアンスが強い)」より、21世紀に目指すべきは「社会国家」だとする論調ともゆるやかにつらなっている発想が、『21世紀の資本』にはある。

(●福祉国家と社会国家 http://www.seijo.ac.jp/pdf/faeco/kenkyu/098-099/098-099-kimura.pdf )


ピケティ勉強会

0.ピケティ自身が公開しているデータ集

・エッセンスや要約本(洋書=Kindle本)

1.『21世紀の資本論』を取り上げた媒体とクリップ一覧

2.書籍の特徴

3.ピケティが言った(と日本のマスコミが書き立てている)こと

4.実は、ピケティはこうも言っている



◎ピケティ用語集・一覧 http://society-zero.com/chienotane/archives/3385
◎データ集 トマ・ピケティ『21 世紀の資本』 http://society-zero.com/chienotane/archives/3427 

 

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