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汎用図書館としてのデジタル図書館

■汎用図書館と文庫と学習

あらゆる主題が網羅され、相互に内容的な関係をもちつつ、同じ内容のものはない。それら膨大に蓄積された書き言葉(テキスト)やドキュメントの集合体。これが、古来より人類に構想されてきた「汎用図書館」のイメージ。そして資源の蓄積と再利用が、「図書館」という手法、活動のエッセンスです。他方「文庫」はもともと、ある特定の個人がその興味と関心にしたがって収集した「自分用図書館」、「個人蔵書」の語義が原型です。たとえば三木清の次の一文です。

「本は自分に使えるように、最もよく使えるように集めなければならない。そうすることによって文庫は性格的なものになる。」(「読書子に寄す」とiCardbook https://society-zero.com/chienotane/archives/5171
・三木清

(思想家紹介 三木清 « 京都大学大学院文学研究科・文学部 https://www.bun.kyoto-u.ac.jp/japanese_philosophy/jp-miki_guidance/

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●after internet時代の「読書」

A:<メディアとしての紙>から<デジタル化するメディア>へ

●〈文庫〉の思想と「読書運動」 « マガジン航[kɔː] http://magazine-k.jp/2016/11/01/editors-note-14/
「読書」をどう位置付けるか。
「文学テキストは、会話や書きものによる意見交換の本質的な一部であり、読者ひとりひとりの主観性と彼の他人との対話から生命を得ているのである」。ピエール・バイヤールの〈共有図書館〉と三木清の文庫は、この点で通底した問題意識の上にある、と言える。
〈共有図書館〉:読書の本質にあるのは一冊一冊の本の内容を正確に理解し、記憶することではなく、〈ある時点で、ある文化の方向性を決定づけている一連の重要書の全体〉を把握すること。
自前の個人図書館(=文庫):三木清は読者がそれぞれに「性格的」で「スタイル」を得た、自前の個人図書館(=文庫)をもってほしいと願った。

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