生物の「存在」の二つの側面|知活人(chiikibito)

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■[私のお気に入り知識カード]=060 生物の「存在」の二つの側面

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生物の「存在」の二つの側面

◎人工知能には情報的視点だけでなく物理的視点(身体性)が必要◎

子供に大人気のアンパンマンは、頭部を交換することで力を回復します。それでも意識や記憶は新しい頭部に引き継がれています。実際われわれ人間もそうですね。

私たちの体を構成する約60兆個の細胞は、少しずつですが毎日入れ替わっています。けれども「私」は「私」固有の意識や記憶を保持した連続体、同じ「私」です。知能はこの意識や記憶が体系化されたもの、と考えられるでしょうか。

ここで留意すべきことがあります。人工知能はどう作ればよいのか、そもそも人間の「知能」とは一体何か、を考えるとき、「私」の中核を構成する記憶(情報的側面)と「部品」としての身体(物理的側面)とが、分けられなく存在することに、注意を払わなくてはいけません。意識や経験が身体を経由してしか得られないからです。

たとえば「私」は物理的存在でもあり飛び跳ねようとすると重力の制約を受けます。こういった身体を経由した「経験」から知能は形づくられていきます。身体的視点を忘れた知能論だけでは、人工知能は完成の域に達しないでしょう。

身体的視点を忘れた知能論は「我思う故に我あり」のデカルト的世界観をベースにしています(※)。たしかに20世紀までの人工知能はデジタルデータを操作しながら、情報工学的プロジェクトとして発展してきました。

史上最年少の14歳2カ月でプロ入りした将棋棋士の藤井聡太さんの登場で、将棋界でAIソフトが当たり前に使われていることを知りました。AIは将棋の局面局面で、可能性のある数億手先を読んでいきます。デジタルデータの演算として行われるそのスピードはもはや人間の知能を超えているとも言われます。

しかし知能は、人間が物理的情報的全体性をもって世界と対峠するところから生まれています。そこで21世紀になり感覚の生活世界を生きる「私」、あらゆる経験を受け入れる身体と知能の全体を対象に、人工知能が議論されるようになっています。

身体と知能の全体を対象にした人工知能論こそ、iCardbook『人工知能と人工知性』です。副題が「環境、身体、知能の関係から解き明かすAI」となっています。

※補記:デジタルがだめと言っているのではなく、デジタルで覆われていく趨勢の中で身体からの感覚を忘れずにということです、言いたいのは。
℃(読み方は「度シー」)の「C」とは一体なんでしょう。これは、考案者の名前、セルシウスから来ています。スウェーデンの天文学者・物理学者のセルシウスが、水の沸点を100度、氷の融点を0度とし、この間を100等分した温度目盛りを考案したのです。デカルトから約百年後の発明。これによりそれまで身体で感覚的にとらえられていた温度を、デジタルに数値として把握することが可能になり、以降の科学の発展に大いに寄与しました。

・三宅陽一郎のiCardbook 『人工知能と人工知性』

 


『人工知能と人工知性  環境、身体、知能の関係から解き明かすAI(三宅陽一郎)』

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