教科書、啓蒙書はどこへ行った デジタル化時代の専門書出版(3)

デジタル化時代の専門書出版
(1)専門書の売上推移
(2)専門書の相対化
(3)教科書、啓蒙書はどこへ行った
(4)「越境する知」と「知の体系的血肉化」
(5)XUB:eXtensible Utilization of Books
(6)電子化作業の協業化、、あるいは「公」の視点

(3)教科書、啓蒙書はどこへ行った

 

指定教科書とシラバス

11月、12月、大学の先生方はシラバスの構想とその文案作りに追われる。来年の担当授業・科目について、その概要を整理して学生の授業・科目選定の用に供するのが「シラバス」。そして当然、先生方は教科書をどうしようと考え、決まればそれを「指定教科書」として記入する。

指定された教科書は翌年2月、3月に大学生協に準備される。だからこの時期(11月、12月)生協からは、先生方に対してシラバスに記入された書籍がなんだったか忘れずに生協にお知らせください、の案内がゆく。

●例:教科書・参考文献・教材ご指示のお願い|同志社生活協同組合
~「教科書を決めておられない先生方はお決まり次第至急ご連絡ください」 http://www.doshisha-coop.com/for_teacher/016233.php

一方それに先立つ9月から10月にかけて、教科書見本を持って専門書出版社の営業スタッフはせっせと売り込みに回る。一度「指定教科書」に選んでいただくと向こう数年は、数字の読める「売上」となってくれるからだ。

だが実は、研究書というリスク(売上の予測困難度)の高い刊行物を支える、つまり「固定部数」でリスクをミニマイズしてくれる教科書売上は、2000年の声を聞いたあたりからあまりあてにできなくなってきた。

指定教科書をあまり学生が買わないという話はずいぶん昔からある。ネット時代ともなれば、買わずに済ます方法がさらに流布される。

●大学の高価な参考書・教科書代を最低限に抑える3つの方法! http://bit.ly/1XXWeI3
●教科書を賢く入手する方法 | 大学生入門 http://eurek.jp/college/study/id00293

また「学術書市場の変化と電子書籍」で橋元博樹氏は、生協の教科書売上減少の事実を紹介したうえで、全国大学生協協同組合連合専務理、福島裕記氏の話として、学生の生活事情、懐具合の困窮を報告している。

こういった背景から、教科書指定してもその授業に参加する学生の半分も購入してはくれないのが今の現実である。。

【指定された教科書】について、「教科書をすべて自分で買った」学生は半数に満たない(45.0%)。学生は、「一部の教科書は買った」(40.1%)、「必要に応じて図書館で借りた」(19.6%)、「先輩からもらった」(18.1%)など多様な方法で教科書を入手している。
(千葉大学学習状況・情報利用環境調査 2012 集計報告書
http://alc.chiba-u.jp/chousa/chousa_hokokusyo_2012.pdf

 

教科書制度の解体

しかしもっと深刻な事実がある。指定教科書をあまり学生が買わないという事象以上に、ここへ来て専門書出版社が頭を悩ましているのは、教科書を指定しない授業・科目の増大だ。

00年代、出版社の人間の感覚では指定教科書のある授業・科目は全体の7~8割へ減っているという感覚だった。

ところが10年代にはいり教科書を指定しない授業・科目の増加が加速する。

有斐閣の鈴木道典氏の講演、「変わる大学、変わる図書館(第17回図書館総合展)」では千葉大学の例を紹介している。

「千葉大学の全学共通教養教育(普遍教育)は全部で1,282の科目。その中で指定教科書がある科目は36.35%。残りは教科書ではなく様々な教材を使っている.。
●(『デジタルコースパック・プロジェクト - 授業資料電子化の試み』 白川 優治(千葉大学アカデミック・リンク・センター)   配付資料
http://alc.chiba-u.jp/seminar/handout20110727_2.pdf

他にも報告事例は枚挙にいとまがないほど。そしてそれは「教科書制度の解体」と言ってもよいような惨状だ。

・指定教科書は少なくなっている。東京大学でも9割は使っていない。
本が授業で使われなくなっている。
~長丁光則さん(大日本印刷株式会社教育・出版流通ソリューション本部)

・九州大学は4,800科目の授業がある(シラバス掲載分)が、そのうち、授業で教科書を指定しているのは17%、うち図書館に蔵書があるのは11%
低学年時の授業に限れば、割合は増えるが、(それでも)全体の3割弱しかない。
・研究において一人前になるには、査読誌にジャーナルを載せること。一方、教育者として一人前になるには、授業の教科書を自分で書くこと。しかしそれが難しいので、板書などを行う。現在九州大学で行なっているのは、授業の板書やスライドを教科書にしていこうという試み。
~井上仁さん(九州大学情報基盤研究開発センター学習環境デザイン研究部門 准教授)
(学術電子教科書・教材はこうなる-新しい流通と取組について | 第14回 図書館総合展 http://2012.libraryfair.jp/node/1266 )

なんと全体の7~8割が指定教科書のある授業だと思っていたら、「全体の7~8割で教科書指定がない」状況に、どうやらなっているようだ。

 

サラリーマンが本を読んだ時代

研究書(狭義の専門書)の刊行事業を支える両輪の内、教科書は21世紀にはいったあたりからあてにできなくなった事情を上に書いた。もうひとつの柱、啓蒙書はしかしその支え手としての退場はもう少し早かった。

60年代、大卒のサラリーマンはその希少価値ゆえ、企業にはいればいわゆる幹部候補生でそれなりに自負を持って勉強もした。本も読んだ。つれて硬い本も良く売れた。

専門書出版の業界筋で懐かしい話として時々思い出したように語られるのが、「60年代は作れば売れる時代だった」「あのころは昼間から飲んだりしてたな」という逸話だ。

その、本を買い、読む裏付けにあったエリート意識が希薄になったのはいつからだったろう。高度成長が石油ショックでインフレにつながった後、70年代後半くらいかなと踏んでいる。

ひとつの仮説として、新入社員の大卒比率を追いかけてみたい。大卒比率が1~2割程度のころは、エリート意識もあったが、それが4割になり(1977年)、5割を超えた(19994年)あたりから、大卒=単に年齢の高い高卒という感じになり本を読まなくなった、買わなくなった、という仮説だ(もちろんどの時代にも大卒、高卒問わず、読書家はいる。大卒が必ず本を読み、高卒が決まって本を読まないなどということではない)。

 

大学進学率のマジック

現在は大卒が溢れかえっていて、高校から大学へ進むのが普通だという感覚があるかもしれないが、「進学率」の数字はそうではない、と言っている。たしかに中学から高校への進学率は9割になっている。しかし高校から大学への道が過半となったのはつい最近だし、足もと9割にまで上がっているわけでもない。
進学率の推移

「大卒が溢れかえっていてる」という感覚はではどこから来るのか。

それは、大学4年間という時間の間での人口動態と進学率変動との共鳴で起きるマジックが、そう見せているのだ。文科省は18歳時点での進学率を注視する。しかし文科省役人ではない我々は、新入社員を見ている。

下の表は、いろいろ仮定を置いた推計で作った、新入社員の中に占める大卒の割合の推移。
新入社員に占める大卒率推移

・60年代は1割(=いわゆるエリートですね)
・1970年に22.7%になった後急上昇し、1977年に40%を超える。
・80年代4割台の後、1994年、5割り越え、そして1999年、6割り越え
・2010年代は7割へ

ちなみに、5年間移動平均ベースの「返品率」が30%未満に戻らなくなるのが1977年35%未満に戻らなくなるのが1997年(2015年10月の単月返品率は40.5%)である。

新入社員に占める大卒比率の段階的上昇と、啓蒙書やその他のビジネス書、実用書が売れなくなっていったトレンドとの間にどうやらある種の関係がありそうだ、というひとつの仮説だが、いずれにせよ、研究書(狭義の専門書)というリスクの高い本の刊行を支えてきた二本柱のメルトダウンに直面しているのが、専門書出版社。そしてそれは学術コミュニティにおける「知の循環」が経済的に維持困難になってきていることをも意味する。
専門書出版社 80年代まで
専門書出版社 現在

この難局に対し、鈴木哲也氏・高瀬桃子氏共著の『学術書を書く』は、デジタル化時代に「何を紙で出すのか」を再考せよと訴え、「越境する知」と「知の体系的血肉化」のための専門書(学術書)にフォーカスすることと、そのことから専門書(学術書)が備えるべき機能の高度化を説く。

鈴木道典氏の講演「変わる大学、変わる図書館」は、「XUB:eXtensible Utilization of Books」構想で専門書の教材化をデジタル技術で具体化する道、方法論を探っている。

橋元博樹氏の論考、「学術書市場の変化と電子書籍」は、そもそも専門書をデジタル化、電子書籍とするための実践論を展開する。

順番に見ていこう。

(続く) 

 

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