「経済世界」の消滅

トルコは19世紀まで、イランを除く中東のほぼ全域とバルカン地域を支配した世界帝国であるオスマン帝国の中核であった。そのオスマン帝国の崩壊から、現在の国民国家トルコが誕生した。

アラブ地域は19世紀まで、オスマン帝国の属州であった。オスマン帝国の弱体化は地方有力者の台頭をもたらし、この地方政治の動向のなかから、現在のアラブ諸国へと編成されていった。なかでもエジプトは中央集権的な政治伝統を背景に、国民国家への道の先頭を走った。

イランは、長らくオスマン帝国と対峙したサファビー朝とその後継王朝の下に置かれていた。イラン社会は地方分権的であり、そのなかで中央集権的な政治形態を模索する過程を経て、現在の国民国家イランが誕生した。

こうした中東諸国体制の形成は、イスラーム世界という一つの広大な「経済世界」の消滅を意味した。

参考文献:
イスラーム世界の危機と改革(世界史リブレット) 』  加藤博(山川出版社、1997年)


 

★この記事はiCardbook、『イスラーム世界の社会秩序 もうひとつの「市場と公正」 Vol.2 市場経済における「イスラームの道」(歴史編)』を構成している「知識カード」の一枚です。


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