したがって、「自由」の本質もまた次のように明らかにされなければならない。 〝わたし〟はいったいどのような時、ど…
タグ: 苫野 一徳
現象学=欲望論的アプローチ
何が「道徳・義務」であるかを知ることは、そこに「欲望・関心」の次元の観点を自覚的に組み込まない限り、決してでき…
システムに隷属したい
「自由」になったからこそ、わたしたちはその「自由」な生を存分に満たせない「空虚性」と、それゆえに世界から「否定…
意味ある行為の繰り返し
世界への働きかけが即座に〝意味〟を持つことを(繰り返し)行うこともまた、〝欲望の中心点〟を生み出すための一つの…
ヘーゲル社会原理論の原理性再論
この観点から、ヘーゲル社会原理論の原理性を改めて理解することができる。 わたしたちの認識は「欲望・関心」に相関…
〝人間的〟幸福の本質は「自由」である
愛されたいという欲望が叶う、認められたいという欲望が叶う、裕福になりたいという欲望が叶う……。これら〝人間的〟…
諸規定性における選択・決定可能性の感度
「意志は決定する意志としてはじめて現実的な意志である」とヘーゲルはいう。※I):引用 『法の哲学』 §一二 (…
「事そのもの」としての「職業」
『精神現象学』における「事そのもの」のくだりには、確かに比較的「文化的な表現の営み」のニュアンスがある。しかし…
実践理論としてのドゥルーズ=ガタリ
欲望が何らかの形でシステムによって抱かされているという「信憑しんぴょう」、そしてまた、そのような欲望が(資本主…