欲望が何らかの形でシステムによって抱かされているという「信憑」、そしてまた、そのような欲望が(資本主義)システムを支えているという「信憑」を抱きうる限りにおいて、欲望を散逸させるというドゥルーズ=ガタリの戦略は一定の説得力を持っているのだ。※I):たとえば、受験競争に勝ちたい、勝たなければならないという欲望、流行に遅れずにいたい、いなければならないという欲望、燃えるような恋愛をしたい、しなければならないという欲望。これら社会によって抱かされたと信憑しうる欲望に、一切興味を示さないこと。そのことで、システムによる「コード化」の力学から逃れ続けること。それはある意味では、先に述べた「欲望を変える」という戦略とも似た、「自由」のための一つの方策ではあるだろう。
■参考文献
『「自由」はいかに可能か―社会構想のための哲学』 第五章・第一節 欲望 苫野 一徳 二〇一四年
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註
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