諸規定性における選択・決定可能性の感度

「意志は決定する意志としてはじめて現実的な意志である」とヘーゲルはいう。※I):引用 『法の哲学』 §一二 (中公クラシックス、二〇〇一年)

そして続ける。

「自我は、私をこの内容とか、あの内容とかに、規定する可能性である。すなわちこれらの、自我にとってはこの面からいえば外的なもろもろの規定のなかから、選択する可能性である。」※

II):引用 『法の哲学』 §一四 (中公クラシックス、二〇〇一年)

諸規定性の中にあってなお、わたしたちは選択・決定可能性を感じることができる。「自由」の本質はここに存するのだ。

■参考文献
『法の哲学』  ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル 原著一八二一年
『どのような教育が「よい」教育か』 第三章・第一節 私たちはどのような生を欲するか  苫野 一徳 二〇一一年
書評『どのような教育が「よい」教育か』  枡岡大輔(大阪経済法科大学)[編集部]


★この記事はiCardbook、『自由の相互承認 —— 人間社会を「希望」に紡ぐ —— (上)現状変革の哲学原理』を構成している「知識カード」の一枚です。

 

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I. :引用 『法の哲学』 §一二 (中公クラシックス、二〇〇一年)
II. :引用 『法の哲学』 §一四 (中公クラシックス、二〇〇一年)