「事そのもの」としての「職業」

『精神現象学』における「事そのもの」のくだりには、確かに比較的「文化的な表現の営み」のニュアンスがある。しかしそれから十数年後の『法の哲学』において、ヘーゲルはその土壌を、各自の「職業」および「職業団体」に見た、というのは、わたしの深読みだろうか。

「職業」——再び、家事や育児といったものも含めて―は、わたしたちのだれもが何らかの形で従事するものだ。そしてだからこそ、ヘーゲルは、この職業世界において、各自が「事そのもの」を探求し、より充実した「自由」を感じられる社会を作る必要があると考えたのではないか。

■参考文献
『「自由」はいかに可能か――社会構想のための哲学』 第六章・第三節 交響圏と遊動性  苫野 一徳 二〇一四年
「公共性としての「事そのもの」─ヘーゲル行為論の社会哲学的意義─」 小井沼 広嗣 『アジア太平洋レビュー』第7号 2010年度[編集部]

★この記事はiCardbook、自由の相互承認 —— 人間社会を「希望」に紡ぐ —— (下)未来構築の実践理論』を構成している「知識カード」の一枚です。

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