「自由」の〝本質〟(共通確信)を問う

したがって、「自由」の本質もまた次のように明らかにされなければならない。

〝わたし〟はいったいどのような時どのような条件において、「自由」を感じ——確信し——それを「自由」と呼んでいるのだろうか?

そしてまた、この〝わたし〟の「確信」と他者の「確信」との間に、わたしたちはどのようにして共通に「確信」されうる「本質」を見出せるだろうか?

■参考文献
『「自由」はいかに可能か―社会構想のための哲学』
 第二章・第一節 因果法則からの自由  苫野 一徳 二〇一四年


★この記事はiCardbook、<a href="http://society-zero.com/icardbook/001/index.html">『自由の相互承認 —— 人間社会を「希望」に紡ぐ —— (上)現状変革の哲学原理』</a>を構成している「知識カード」の一枚です。