システムに隷属したい

「自由」になったからこそ、わたしたちはその「自由」な生を存分に満たせない「空虚性」と、それゆえに世界から「否定」されているという苦しみを抱いてしまうことがある。

そしてそのために、わたしたちはしばしば、何らかの「客観性」、すなわち強大な力を持つ者や、ファシズムのような 〝システム〟に従属したいと願ってしまうのだ。

政治的「自由」さえなかった時代に、ヘーゲルはこのように「自由」獲得後の世界における危険を見通していた。※I):へーゲルは一七七〇年にドイツで生まれた。近代的な「自由」はいまだ整備されていない、近代社会の黎明期にあたるこの時期に、近代的自由実現の後に生まれるであろう課題をすでに見据えていた。[編集部註]

■参考文献

『「自由」はいかに可能か―社会構想のための哲学』 序章・第一節 「奴隷化」の道  苫野 一徳 二〇一四年


★この記事はiCardbook、『自由の相互承認 —— 人間社会を「希望」に紡ぐ —— (上)現状変革の哲学原理』を構成している「知識カード」の一枚です。

自由の相互承認

 

 

 

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I. :へーゲルは一七七〇年にドイツで生まれた。近代的な「自由」はいまだ整備されていない、近代社会の黎明期にあたるこの時期に、近代的自由実現の後に生まれるであろう課題をすでに見据えていた。[編集部註]