マムルーク朝末期の経済危機

経済のシステムを平常時に把握することは難しい。経済のシステムは平常時には、日常的な社会生活に埋没し、構造化されて意識されないからである。

これに対して、社会が困難に直面する非常時には、その社会を秩序づけていた経済のシステムの特徴が、破綻というネガティブな局面において、顕在化する。14世紀の末から15世紀の初頭にかけてエジプトを襲った経済危機*は、このような非常時であった。

この経済危機は飢饉と物価高をともない、カイロでの食糧暴動を引き起こした。そのなかで、穀物市場の動向をめぐって社会各層の思惑がぶつかり合った。

参考文献:
イスラム経済論―イスラムの経済倫理』 第二部第7章:中世アラブの経済思想  加藤博(書籍工房早山、2010年)
「マクリ-ズィ-のエジプト社会像」佐藤次高 『中世イスラム国家とアラブ社会―イクタ-制の研究』  佐藤次高(山川出版社、1986年)

* 当時、エジプトはイスラーム王朝であるマムルーク朝(1250~1517年)のもとにあった。マムルーク朝下のカイロはイスラーム世界における経済の中心であったが、15世紀に入ると、マムルーク軍団内部の勢力争いが激化し、そこへペストの流行による農村人口の減少、海外貿易の衰退などが重なったため、マムルーク朝の政治体制は危機に直面することになった。

■関連知識カード/章説明他:
銅貨の氾濫と経済危機


 

★この記事はiCardbook、『イスラーム世界の社会秩序 もうひとつの「市場と公正」 Vol.2 市場経済における「イスラームの道」(歴史編)』を構成している「知識カード」の一枚です。


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