「奴」による「承認」

しかし、「主」は「奴」に対して、その支配を〝力〟によって永続化させることは不可能である。

主が「自由」であるためには、実は奴の「承認」が不可欠なのだ。I): 「(まずそもそも、)もし実際に戦いの結果相手を殺してしまえば、はじめに意図されていた自己の自由の承認という欲望は、達せられない。死を賭して戦いあうことは、双方が自己の絶対的『自由』を守ろうとする意思の証しではあるが、相手が死んでしまえば、勝利者の『自由』を「承認」する他者はいなくなるからだ。」(『はじめてのヘーゲル「精神現象学」』 第二章 自己意識 (講談社現代新書、二〇一〇年))

「最も強いものでも、自分の力を権利に、〔他人の〕服従を義務にかえないかぎり、いつまでも主人でありうるほど強いものでは決してない。」(引用 ルソー『社会契約論』 第三章 (岩波文庫、一九五四年))


■参考文献
『社会契約論』  ジャン=ジャック・ルソー 原著一七六二年

『ヘーゲルと現代思想の臨界―ポストモダンのフクロウたち』  岡本 裕一郎 二〇〇九年

『はじめてのヘーゲル「精神現象学」』  竹田 青嗣、西 研 二〇一〇年

 

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I. : 「(まずそもそも、)もし実際に戦いの結果相手を殺してしまえば、はじめに意図されていた自己の自由の承認という欲望は、達せられない。死を賭して戦いあうことは、双方が自己の絶対的『自由』を守ろうとする意思の証しではあるが、相手が死んでしまえば、勝利者の『自由』を「承認」する他者はいなくなるからだ。」(『はじめてのヘーゲル「精神現象学」』 第二章 自己意識 (講談社現代新書、二〇一〇年))