「自由の相互承認」の土台となるべき、最後の圏域としてヘーゲルが描き出すのが「国家」である。I):この「国家」論…
タグ: 苫野 一徳
言葉の「共通意味本質」の確信
わたしたちは、わたしたちの生きているこの世界を、わたしたちの「欲望」や「関心」「身体」に応じて切り取り名前をつ…
答えなき「道徳・義務論」同士の争い
ここにわたしたちは、互いに相容れない二つの道徳・義務論を見る。はたしていったい、どちらが本当に道徳的な〝前提〟…
欲望の網目にフックをかける
とするなら、わたしたちはその粗い欲望の網目にまず何らかの形で〝フック〟をかけ、こちらにたぐり寄せ、その中心点を…
「プラグマティックなアプローチ」の問題
この言明自体は、形式的にはきわめて妥当なものだ。 しかし、ローティ自身「方法を持たないプラグマティズム」といっ…
ドゥルーズ=ガタリの「自由」論の問題点
しかし、ドゥルーズ=ガタリの抱く「自由」の〝イメージ〟は、第二章で述べた「因果からの自由(上巻・知識カード25…
幸福の本質としての「自由」
しかし本当に、人間的欲望の本質は「自由」なのだろうか? むしろそれは、たとえば「幸福」と言うべきではないのか?…
自由の表象(イメージ)を解体する
では「自由」の本質を、わたしたちはどのように描き出すことができるだろうか? この問いを解明する前に、まず「自由…
ヘーゲル理論の検証可能性
人間的欲望の本質は「自由」である。 「自由」への欲望は、根源的に「承認欲望」の形をとる。 「承認欲望」が行きつ…