わたしたちは、わたしたちの生きているこの世界を、わたしたちの「欲望」や「関心」「身体」に応じて切り取り名前をつけている。それゆえ、言葉の絶対的(イデア的)本質などはない。
しかしその上でなお、わたしたちが互いに言葉を交わし合う時、その言葉の〝共通意味本質〟を、わたしたちは多くの場合暗黙のうちに了解し合っているはずなのだ。
言語コミュニケーションが相互に成立しているという「確信」をわたしたちが自らの内に抱いている限り、わたしたちはその言葉の共通の意味の〝本質〟についてもまた、暗黙のうちに必ず「確信」しているはずなのだ。
■参考文献
『「自由」はいかに可能か―社会構想のための哲学』 第一章 「本質」とは何か 苫野 一徳 二〇一四年
「現象学における本質学の二義性——一般本質学と超越論的本質学の導入の試み」 岩内章太郎 『本質学研究』第1号
[編集部]
★この記事はiCardbook、『自由の相互承認—— 人間社会を「希望」に紡ぐ ——(上)現状変革の哲学原理』を構成している「知識カード」の一枚です。
◎iCardbookの商品ラインナップはこちらをクリック