幸福の本質としての「自由」

しかし本当に、人間的欲望の本質は「自由」なのだろうか? むしろそれは、たとえば「幸福」と言うべきではないのか?

いや、それを〝人間的〟という限り、人間的欲望の本質はやはり「自由」にあると言うべきである。

というのも、〝人間的〟な「幸福」の本質もまた、実は「自由」にこそあるからだ。

幸福とは、基本的にはわたしの「欲望」が叶うことである。そしてそれが〝人間的〟な「欲望」であればあるほど、その「欲望」が達成された時、その底には必ず「自由」の実感があるはずなのだ。


■参考文献
『ニコマコス倫理学』  アリストテレス 原著紀元前四世紀頃

『エピクロス:教説と手紙』  エピクロス 原著紀元前三世紀頃

『どのような教育が「よい」教育か』 第三章・第一節 私たちはどのような生を欲するか  苫野 一徳 二〇一一年

『自由は人間を幸福にするか』  長谷川 三千子、佐伯 啓思、竹田 青嗣、小浜 逸郎 二〇〇七年[編集部]

★この記事はiCardbook、『自由の相互承認—— 人間社会を「希望」に紡ぐ ——(上)現状変革の哲学原理』を構成している「知識カード」の一枚です。

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