「抑圧されたものの回帰」

柄谷が唯一その理論的根拠として持ち出しているのは、フロイトの言う「抑圧されたものの回帰」である。

これは、幼少期のトラウマは、いったん抑圧されるがやがて回帰してくる、という精神分析学の理論だが、フロイトによれば、実は世界史においても「抑圧されたもの」は回帰する。I):フロイトは、ユダヤ教の強靭な唯一神信仰にもこの「抑圧されたものの回帰」を見出そうとする。彼の仮説によれば、モーセは他ならぬユダヤ人たちに殺された。そしてその記憶は、ユダヤ人たちの間に代々受け継がれながらも、記憶の彼方に潜伏していった。しかし潜伏期を終えると、彼らは「抑圧されたものの回帰」を再び経験することになる。モーセという「原父」を殺した記憶が、ユダヤ民族の歴史の中で、潜伏期を経た後回帰した。そしてそのことが、原父モーセの唱えた一神教を、さらに強烈に信仰せしめる理由となった。「原父殺し」、これが、ユダヤ人たちが経験し、そしてその後抑圧したものだったとフロイトは言うのだ。

この「抑圧されたものの回帰」の理論を根拠に、柄谷は「交換様式A」が回帰すると主張するのだ。

しかしこの理論は、あまりに検証可能性を欠いた〝フィクション〟と言わざるを得ない。


■参考文献
『トーテムとタブー』  ジークムント・フロイトII):オーストリアの精神医学者(一八五六~一九三九年)。精神分析の創始者。意識をもとにして人間を理解しようとする意識心理学の立場を捨てて、意識は無意識から理解されるべきものであることを主張。これは同時代の哲学者フッサールの現象学とも通底するもので、文学や芸術の領域にわたり大きな影響を与えた。[編集部] 原著一九一三年[編集部]

『世界史の構造』  柄谷 行人 二〇一〇年

 

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I. :フロイトは、ユダヤ教の強靭な唯一神信仰にもこの「抑圧されたものの回帰」を見出そうとする。彼の仮説によれば、モーセは他ならぬユダヤ人たちに殺された。そしてその記憶は、ユダヤ人たちの間に代々受け継がれながらも、記憶の彼方に潜伏していった。しかし潜伏期を終えると、彼らは「抑圧されたものの回帰」を再び経験することになる。モーセという「原父」を殺した記憶が、ユダヤ民族の歴史の中で、潜伏期を経た後回帰した。そしてそのことが、原父モーセの唱えた一神教を、さらに強烈に信仰せしめる理由となった。「原父殺し」、これが、ユダヤ人たちが経験し、そしてその後抑圧したものだったとフロイトは言うのだ。
II. :オーストリアの精神医学者(一八五六~一九三九年)。精神分析の創始者。意識をもとにして人間を理解しようとする意識心理学の立場を捨てて、意識は無意識から理解されるべきものであることを主張。これは同時代の哲学者フッサールの現象学とも通底するもので、文学や芸術の領域にわたり大きな影響を与えた。[編集部] 原著一九一三年[編集部]