分裂症的逃走

資本主義は、確かに専制君主国家を「脱コード化」した。しかしそれは、また別の仕方で、人びとの欲望や行動様式を「再コード化」してしまったのだ。I):コード化とは規律化、つまり(システム(権力)によって欲望を植えつけられ、同時に個々人の欲望それ自体が「特定の権力様式を発生させる」こと。

この資本主義による「再コード化」を、ドゥルーズ=ガタリは再び徹底的に散逸させなければならないと主張する。

つまり、「再コード化」の力学からの〝分裂症的な逃走〟をしなければならないのだと。II):「分裂症的な逃走そのものは、単に社会的なものから離れて周縁に生きることによってのみ成立するのではない。すなわち、この分裂症的な逃走は、社会的なものをむしばみ貫く多数の穴を通して、社会的なものを逃走させる。この逃走は、たえず社会的なものを直接に把握して、いたるところに分子的負荷を配置し、爆破すべきものを爆破し、没落すべきものを没落させ、逃走すべきものを逃走させ、こうしてそれぞれの地点において、プロセスとしての分裂症を現実の革命的な力に確実に転換するのだ。」(『アンチ・オイディプス(下)』(河出文庫、二〇〇七年))

『アンチ・オイディプス(下) 資本主義と分裂症』  ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ 原著一九七二年III):ドゥルーズとガタリは、一九六八年にフランスで五月革命が発生した後に出会い、この著作をはじめとして『千のプラトー』、『カフカ』、『哲学とはなにか』を共著で発表。ドゥルーズは西欧の伝統である形而上学を批判し、ガタリは従来の精神医学の革新を主張していた。本書は、人間の精神、経済活動、社会、歴史などさまざまな主題を扱っている。[編集部]

『西欧近代を問い直す 人間は進歩してきたのか』  佐伯 啓思 二〇一四年

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I. :コード化とは規律化、つまり(システム(権力)によって欲望を植えつけられ、同時に個々人の欲望それ自体が「特定の権力様式を発生させる」こと。
II. :「分裂症的な逃走そのものは、単に社会的なものから離れて周縁に生きることによってのみ成立するのではない。すなわち、この分裂症的な逃走は、社会的なものをむしばみ貫く多数の穴を通して、社会的なものを逃走させる。この逃走は、たえず社会的なものを直接に把握して、いたるところに分子的負荷を配置し、爆破すべきものを爆破し、没落すべきものを没落させ、逃走すべきものを逃走させ、こうしてそれぞれの地点において、プロセスとしての分裂症を現実の革命的な力に確実に転換するのだ。」(『アンチ・オイディプス(下)』(河出文庫、二〇〇七年))
III. :ドゥルーズとガタリは、一九六八年にフランスで五月革命が発生した後に出会い、この著作をはじめとして『千のプラトー』、『カフカ』、『哲学とはなにか』を共著で発表。ドゥルーズは西欧の伝統である形而上学を批判し、ガタリは従来の精神医学の革新を主張していた。本書は、人間の精神、経済活動、社会、歴史などさまざまな主題を扱っている。[編集部]