「聖」と「俗」の融合

一つは、宗教と世俗の一致といっても、それはキリスト教ヨーロッパの文脈においてではないということである。そもそも、「聖」と「俗」の一致を説くイスラームには、社会生活において聖と俗を区別する発想はありえない。聖はすなわち俗であり、俗はすなわち聖である。

したがって、イスラームが反発するのは、俗というよりは、社会生活を聖と俗を区別する発想そのものに対してである。先のアサドの表現を使えば、「世俗主義」という政治的教理に対してであるということになる。

参考文献:
文明としてのイスラム―多元的社会叙述の試み』 第4章:権力・第2節:イスラム政治は「法による統治」  加藤博(東京大学出版会、1995年)
「イスラーム世界における政-教関係の二つの次元」池内恵 『民族主義とイスラーム―宗教とナショナリズムの相克と調和(研究双書)』  酒井啓子編(アジア経済研究所、2001年)


 

★この記事はiCardbook、『イスラーム世界の社会秩序 もうひとつの「市場と公正」 Vol.1 イスラーム経済社会の構造(理論編)』を構成している「知識カード」の一枚です。


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