しかし、このことをもってあらゆる概念は多義的であり操作可能であると主張し続けることは、哲学的にはあまり賢明なことではない。
なぜならわたしたちは、言語の多義性・操作可能性を織り込んだ上で、さらに深く、なぜ、そしてどのように、わたしたちの言語コミュニケーションは成立しているのかと問うことができるからだ。
■参考文献
『言語的思考へ- 脱構築と現象学』 竹田 青嗣 二〇〇一年
★この記事はiCardbook、『自由の相互承認—— 人間社会を「希望」に紡ぐ ——(上)現状変革の哲学原理』を構成している「知識カード」の一枚です。
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