その理由をひと言でいうなら、それはわたしたちが、人間的な「欲望」や「関心」「身体」を(おそらく)共有しているからである。
海、山、川、という仕方でわたしたちが世界を分節しているのは——つまりそのような言葉を持っているのは——わたしたちが、これを一まとまりの存在者として認識する「欲望」「関心」「身体」を持ち、そしてそれをかなりの程度共有しているからなのだ。
■参考文献
『言語的思考へ——脱構築と現象学』 竹田 青嗣 二〇〇一年
★この記事はiCardbook、『自由の相互承認 —— 人間社会を「希望」に紡ぐ —— (上)現状変革の哲学原理』を構成している「知識カード」の一枚です。