キルケゴールは言う。
「気絶した人があると、水だ、オードコロンだ、ホフマン滴剤だ、と叫ばれる。しかし、絶望しかけている人があったら、可能性をもってこい、可能性をもってこい、可能性のみが唯一の救いだ、と叫ぶことが必要なのだ。可能性を与えれば、絶望者は、息を吹き返し、彼は生き返るのである。」※I):引用 『死に至る病/現代の批判』(中公クラシックス、二〇〇三年)
■参考文献
『死に至る病』 セーレン・オービエ・キェルケゴール 原著一八四九年※II):書名は新約のラザロ復活物語(《ヨハネによる福音書》十一章)から採られた。「死に至る病」とは、神との関係のもとで生じる〈絶望〉状態のことだが、それは肉体の死をもってすら終わることのない病でもある。本書は二部からなり、第一部では精神の病である絶望の一般的分析、第二部では絶望の真相である、罪のキリスト教的分析が解説されている。[編集部]
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註
I. | 戻る | :引用 『死に至る病/現代の批判』(中公クラシックス、二〇〇三年 |
II. | 戻る | :書名は新約のラザロ復活物語(《ヨハネによる福音書》十一章)から採られた。「死に至る病」とは、神との関係のもとで生じる〈絶望〉状態のことだが、それは肉体の死をもってすら終わることのない病でもある。本書は二部からなり、第一部では精神の病である絶望の一般的分析、第二部では絶望の真相である、罪のキリスト教的分析が解説されている。[編集部] |