なぜ、イスラーム経済を問題にするのか?


20世紀後半、経済発展のカギを握るのはエネルギー、とりわけ石油だということで、その産油国中東が脚光を浴びました。その後、世界の人口動態予測の観点から将来この地球上を席巻するのがイスラームなのではないかとする予測が出たことも、このトレンドに拍車をかけました。

●CNN.co.jp : 世界で信者数が最も伸びるのはイスラム教 米調査機関 https://www.cnn.co.jp/world/35098272.html
世界の宗教別人口は現在キリスト教徒が最大勢力だが、2070年にはイスラム教徒とキリスト教徒がほぼ同数になり、2100年になるとイスラム教徒が最大勢力になるとの予測を米調査機関ピュー・リサーチ・センターがまとめた。

 

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上記の「信者の伸び」はすなわち、イスラームを信奉する人々が生活する地域の経済成長が著しいからです。それは20世紀第4四半期以降、先進諸国の経済成長が停滞した時期と重なり、余計注目を浴びたのでした。しかも調べてみると、たとえば金融分野では「銀行なき銀行家」といったコンセプトで運営されているなど、それまでの欧米先進国の常識を覆す仕組みの存在が知られ、また宗教が経済の基底にあるなどいった事実も、イスラーム経済の構造を知ろうとする機運を世界のビジネス社会にもたらしました。

他方、経済学や社会学などのアカデミックな世界では、早くも20世紀の70年代あたりから資本主義体制の限界や課題が意識され始め、その解をイスラームに求める動きが、脱西洋史観といった形で具体化してもいきました。

 


◎章単位の説明文:下記は『イスラーム世界の社会秩序 もうひとつの「市場と公正」』の第一章内の説明を一括でまとめたものです。

第1章 なぜ、イスラーム経済を問題にするのか?

イスラーム経済を問題にする理由は、二つある。

第一は、イスラーム世界の経済史をフォローすることが、西欧で形成された近代資本主義経済の光と影を映し出すことになることである。イスラーム世界は経済の歴史において、西欧が衰退をみた「中世」において繁栄を、西欧が繁栄をみた「近代」において衰退を経験している。

このことは、イスラーム経済と西欧経済の展開がコインの裏表の関係にあることを示している。地中海を挟んだ西欧とイスラーム世界とは、交流と対立のなかで歴史を歩み、イスラーム経済と近代資本主義という異なる経済体制を創り出した。そのため、イスラーム世界の経済史は、西欧の経済史を裏から照射することになる。

第二は、イスラーム経済には、市場と社会的公正との興味深い融合がみられることである。現在、近代資本主義は袋小路にはまり込み、さまざまな地球規模や生命をめぐる深刻な問題に直面している。それは、現代資本主義が道徳・倫理から遊離し、解き放たれた欲望が暴走しているからである。

これに対して、イスラーム経済は、人間の欲望を肯定しつつ、その社会的公正との両立を主張する。そして、理念の主張のみならず、実際の歴史の中で、イスラーム経済は理念の制度化をはかってきた。そのため、イスラーム経済を知ることは、近代資本主義を反省し、新たな市場と社会的公正との関係を模索する契機となろう。

本書は1巻『イスラーム経済社会の構造(理論編)』、2巻『市場経済における「イスラームの道」(歴史編)』、3巻『基本概念・基礎用語編』の3巻からなる。この1巻では、近代資本主義との比較を念頭に、イスラーム経済の理論的な枠組みを検討し、続く2巻「歴史編」は、近代資本主義との対抗の中で、いかにイスラーム経済が制度化され、一つの体制となったかを議論する。

第1節 経済は宗教から逃れることができるのか?

イスラーム経済とは、「イスラームという宗教の教義に準拠した経済思想・実践」を意味する。こう述べると、現代の日本人のほとんどは、それはまやかしだ。経済は宗教ともっとも遠いところにある、と考える。この考えでは、イスラーム経済という言葉自体がありえない。しかし、経済は宗教とは異質なのであろうか。

異質だと考えるのは、宗教から離れ、宗教の外に「世俗」を設定した近代西欧の考え方に染まっているからである。良いか悪いかは別にして、第二次世界大戦後の教育によって、この考え方を叩き込まれ、宗教への感受性や想像力を失ってしまった現代の日本人は、この考え方を疑問の余地のないものと鵜呑みにしている。しかし現実には、現代においても、宗教、あるいはそれをより広義に理解して、倫理や道徳なしに社会は成り立たない。経済は、社会での営みの一つの領域である。

 

第2節 そもそも宗教と世俗とは区別できるものなのか

そもそも、「宗教」が「世俗」と区別されるようになったのは、西欧において近代の知が体系化され、神をめぐる学問として宗教学が独自の学問領域とされて以降である。宗教学の成立によって、宗教の外にある世俗が設定され、宗教学とは別に、それを対象とする学問が生み出された。その一つが、人間の倫理や道徳を研究する人文学である。つまり、歴史的にみて宗教と世俗の区別があったわけではなく、逆に、西欧近代の知の体系化によって、宗教と世俗の境界が設けられたのである。

知のパラダイム転換をはかるためには、一度、この近代西欧の知の体系の根底にある宗教と世俗の境界設定を批判的に考察する必要がある。その際、この考え方と対極にあるイスラームの知のあり方を知ることは、有益である。実際、イスラームには、西欧近代を相対化し、「もう一つの社会」のあり方を考えさせる理念や生き方がみられる。

 


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https://society-zero.com/icard/islum1_chap1_reference