イスラーム経済における市場と公正

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自著解題:『イスラーム世界の社会秩序』(一橋大学名誉教授 加藤博)(5)

1.関係性と社会秩序
2.iCardbookスタイルでの出版
3.著作『イスラーム世界の社会秩序 もうひとつの「市場と公正」』
4.もうひとつの市場経済の道
5.イスラーム経済における市場と公正
6.関係性のなかのイスラーム経済

(本稿は加藤博氏が自著の「解題」を信州イスラーム世界勉強会HP へ寄稿したもの。執筆者の加藤博氏と勉強会主催者の板垣雄三氏のご了解のもと転載しています。)

 


イスラーム経済における市場と公正

第二巻の冒頭のエピグラムは、中世のイスラーム思想家イブン・タイミーヤの言葉です。

人はその本性上社会的なものであって,その幸福達成のためには社会を形成し助け合わなければならない。(イブン・タイミーヤ)

イブン・タイミーヤは、厳格なコーラン解釈で知られ、現代のイスラーム思想に多大な影響力をもつ、中世イスラーム世界の法学者です。この言葉は、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『政治学』で冒頭に現れる「人はその本性上ポリス(都市国家)的なもの」という言葉を踏まえたものです。

西欧におけるすべての社会科学はこのアリストテレスの言葉を原点としますが、イスラーム文明は、そこに見られる「ポリス(都市国家)的なもの」という言葉を「社会的なもの」と置き換えて、言葉の意味するところを一般化、普遍化したのです。イスラーム思想家たちは、社会を論じるに際して、必ずと言ってよいほど、この言葉から出発します。イスラーム文明は古典ギリシア文化を継承したのみならず、それを発展させたということは、文明史研究において常識となっています。

さて、先に、市場経済の根幹にある人間の「欲望」について、資本主義とイスラーム経済は、それを肯定することは同じであるが、肯定する根拠がまったく異なっていること、そして、この違いをもたらしたのは資本主義とイスラーム経済における世界観の違いであること、を指摘しました。この違いを一言で述べれば、資本主義は人間中心の、イスラーム経済は神中心の世界観だということでした。

世界観の違い自体が、重要だというわけではあるません。実際、資本主義とイスラーム経済はともに人間の欲望を肯定し、市場経済を発展させました。重要なのは、その違いが市場経済を取り囲む「文明」の違いを生み出し、市場経済の異なる「道」へと導いた、と言うことです。つまり、市場経済のメカニズムは同じでも、「文明」の違いによって、市場を運営する仕方の違いがもたらされたのです。そして、市場経済の「イスラームの道」を示すのが、イスラーム社会のありうべき姿を指摘したイブン・タイミーヤのエピグラムです。

経済人類学者のカール・ポランニーは、本来、市場経済は社会生活の一部として営まれていたものが、近代になってその機能が肥大化し、社会生活で独自の領域を形成するなかで、経済と社会との関係が逆転し、経済が社会を支配するようになったと論じました。ポランニーは、社会生活の一部として営まれている経済を「社会に埋め込まれた経済」と呼び、それが市場経済の肥大化で失われていくことを歴史の流れと認めながら、その喪失を嘆き、復活の必要を主張しました。

この「社会に埋め込まれた経済」というポランニーの言葉にあやかれば、イブン・タイミーヤのエピグラムで示されているのは、「宗教に埋め込まれた経済」を特徴とする社会です。つまり、イスラームの世界観では、宗教と経済は不即不離の関係にありますが、エピグラムにある「その(人の)幸福達成のためには社会を形成し助け合わなければならない」という文言は、人の「欲望」も、「社会を形成し助け合う」ことによって始めて達成される、と読むことができると思います。

つまり、資本主義経済のように、その発展によって、経済が社会から分離していったのとは違い、イスラーム経済の場合、経済の肥大化は避けられないとしても、経済が社会から分離しないように、歯止めがかけられているのです。

そして、そのうえで問題となるのが、「社会を形成し助け合う」ことによって始めて達成されるとされる「幸福」とは何かということです。ここで「幸福」という意味で使われているアラビア語は、通常は「社会福祉」・「公共福祉」と訳され、広義には、「公正」と訳すことができるマスラハという言葉です。通常、アラビア語で「公正」と訳される言葉としてはアドルやアダーラ(アドルが存在する状態)がありますが、これらが、神の正義と結びつけられて言及されることが多いのに対して、マスラハは、神の意図を体現しつつも、一般住民の日常生活に根づく社会慣行を反映し、社会や人間関係における福利増進や和解安寧に関連して共有される「公正」を意味します。

このように、「宗教に埋め込まれたイスラーム経済」の内実を示すのが「公正」という言葉ですが、そもそも「公正」の意味内容を定義するのは難しい。それが使われる文脈によって意味を変えるからです。そこで、ここでは、「公正」を社会の構成員によって共有された合意事項やルールと考えましょう。

それは、社会を構成する人や集団がそれぞれ異なる意味を付与して意識しているとしても、おおむね、皆がそれを不公正なものとは考えず、それを共有することによって、日常生活が営まれている、いわばコモンセンスのようなものです。多様な人や集団が共生している社会で、秩序がもたらされるのは、法に代表される規範以上に、こうした無意識に共有されたコモンセンスによるところが多いと思います。

そして、イスラーム社会では、このコモンセンスをもたらす核心にイスラームの世界観を背景とした「公正」観があり、経済は、このコモンセンスから大きく逸脱しないように、歯止めがかけられていた。そこで、次なる問題は、イスラーム社会において、どのように「公正」観が醸成され、形成されたかです。


 

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2.iCardbookスタイルでの出版
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6.関係性のなかのイスラーム経済